2024年4月26日(金)

経済の常識 VS 政策の非常識

2012年11月29日

 麻生太郎元首相は、まず漢字の読めないことで躓(つまづ)いた。代議員が、麻生氏が漢字を読めないことに気がつかなかったということだ。つまり、身近に観察することで代議員が首相になるべき人の能力を見極めることができるという利点が生きていなかった。取り巻きは何をしていたのだろうか。あらゆる演説文に仮名を振れば麻生氏は最初のつまらない躓きをしないですんだ。

 鳩山由紀夫元首相の失敗は、普天間基地問題で最低でも県外と言ってしまったことだ。ではどこに移すのか。移せない時に日米同盟がどうなるのか。日米同盟が揺らいだ時に起こる事態にどう対処するのか。民主党の中で問いただす人はいなかったということだ。

共に働かなければ
能力を見極められない

 要するに、首相になるべき人を選ぶ代議員が、首相候補について知らなすぎるのではないか。なぜそんなことになるのか。日本人の付き合いは浅いと言った友人がいる。ゴルフや宴会をしても相手の能力は分からない。分かるのは困難な仕事を一緒にすることだ。

 政治家であれば、言論によって民衆を感動させる。政敵を圧倒する。反対派を説得する。懐柔する。圧力をかける。魅力的な政策を訴える。官僚機構を動かす。財界を納得させる。あるいは、官僚や財界の言いなりになっているだけだが、あたかも自分のイニシアチブでしているように見せる。これらのことを一緒にすることを通じて相手が分かる。

 もっとも、議員の多くの仕事は言論活動で、実際に何かをする訳ではない。特に、野党の議員はそうだ。学者や評論家の仕事と共通する面がある。言論だけでは、本当に仕事を遂行する能力は分からない。しかし、なんらかの困難な仕事を通じて、本当に困難な仕事の能力を推測するしかない。アメリカの軍人を除いて、先進国の軍人はほとんど戦争をしたことがない。しかしそれでも、なんらかの類似の活動を通じて、軍人としての能力を判断するしかない。議員も似たような面がある。

 実際のことを考えてみよう。1年生議員であれば、先輩議員の能力を知るよりも、まず、先輩議員に従うことを要請される。相手の能力を知るためにとりあえず便利なのは、相手の嫌がる質問をすることだ。しかし、そんなことをしても何の得にもならない。


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