「週に1日とか2日とか回想の時間をもらえたんです。回想法*には、話を聞いてあげることで気持ちを安定させるとか認知症状の進行を抑えられるとか目的があって、目的がある以上結果が求められる。話の内容よりも、リアクションをメモしていくという感じで、何かちょっと違うなあと思ったけど、せっかく時間をもらえたので聞き書きを進めました。回想法って、話に突っ込んだり、質問してはいけない。受け身に徹してただ聞いて差し上げるんですが、介護される人と介護する人という関係性ではなく、人生の先輩と後輩という立場で向かい合えば、いろいろ聞きたくなる。それってどういう意味? その時、どうだったの? 話す人が落ち着いて心地よいだけでなく、当時の感情が呼び覚まされて興奮してしまうことだってある。でも、その人の生きてきた人生そのものを教えてもらうことで、受け継いでいきたい。そんな思いで話を聞きます。かつてできたことができなくなっている現実を受け入れることは難しいけれど、自分の生きてきた人生を人に話し、『凄いよね』と言われて初めて自分の人生捨てたもんじゃないと気づくことはあると思うんです」
その結果、元気になる。自信を取り戻せるかもしれない。でも、それはあくまで結果であってそれを目的にするのではないと六車は言う。
*回想法:介護現場で取り入れられている心理療法の1つ
介護と民俗学の可能性
ほぼ1年間続けた聞き書きは、『驚きの介護民俗学』(医学書院)という一冊の本になった。六車のその後の人生に大きな影響を与えた『神、人を喰う』から長年の沈黙を破って、民俗学者・六車由実が世に問うた労作である。
タイトルに「驚きの」とあるように、介護の現場は六車には新鮮な驚きの連続だった。無口にうつむいて無為の日々に耐えているかに見える人たちが、内に豊かな言葉を秘めていることの驚き。こちらが心から驚くことで、表情まで豊かになっていく驚き。さらにそんな入所者との関わりの時間すら生み出せない介護現場の過酷さへの驚き……さまざまな驚きが「介護民俗学」という耳慣れない言葉の背後から立ち上ってくる。
「介護民俗学という新しい学問の分野をどう発展させていくのかとよく聞かれるんですが、そういうことにはあまり興味がなくて、介護民俗学ということで問題提起をしたまでなんです。人の価値は、自分だけで見出すことは難しくて人に話したり関わったりすることで、気づいていく。民俗学にもそういうところがあって、地元の人にとっては受け継いできた他愛ない日常に、外からやってきた学者が興味をもち、評価することで、その価値に気づき、自覚して守っていこうと文化の客体化ができる。それと同じことが介護の現場でも起きているということなんです。この聞き書きが、民俗学とは何だろうということを考えるきっかけになりました」