大学の教員から介護現場への転身。飛び込んだ先は、驚きに満ちた豊かなフィールドだった。介護という関わりを通して、向き合う一人ひとりの人生の知恵や知識、時代の歴史を継承していくこと。そこに民俗学の新しい可能性を確信している。
アカデミズムとの決別
2003年。将来が期待される新進の評論家、研究者に贈られるサントリー学芸賞の思想・歴史部門を受賞したのは33歳の六車由実だった。受賞の対象になった論文は『神、人を喰う─人身御供の民俗学』。生贄、人身御供という人間の野蛮性や暴力性に関わるテーマに、若い感性で真正面から向き合い、従来の民俗学の枠を超えたダイナミックな研究姿勢と内容が評価され、気鋭の民俗学者は学界内に止まらない大きな注目を浴びることになった。受賞の翌年には、東北芸術工科大学(山形県)の東北文化研究センター研究員から同大の芸術学部助教授(准教授)になり、学者としての道を順調に歩んでいるはずだった。
10年後の2013年。六車は静岡県沼津市内にある一般住宅を利用したデイサービス「すまいるほーむ」の管理者・生活相談員として働いていた。名刺には「社会福祉士、介護福祉士、民俗研究者(介護民俗学)」と記されている。
台所と浴室と和室2間。事務所として使用する洋間。この日は、要介護5の車椅子の利用者を含む8人が目前に迫った祭で披露する踊りの稽古をしていた。六車の踊りに色気がないと手厳しい指摘をしているのは、かつては踊りのお師匠さんだったという利用者。スタッフと利用者が、介護する人と介護される人という関係よりも、地元のお年寄りと若者といった感じに見える。踊りの稽古の後は、塗り絵や工作におしゃべり。そしておやつの支度。午後4時過ぎから帰りの準備をして、要支援の人を支え、車椅子を押して送り、日誌をつけ、明日の打ち合わせ……朝8時の迎えから始まった六車の今日の仕事が終わったのは午後5時30分を回っていた。
08年に東北芸術工科大学を退職して、故郷の沼津に戻ったのだという。が、六車の名刺には今も「民俗研究者」の文字がある。
「研究者として聞き書きに入った地域との関わりもありましたし、学生たちとの関係もありましたし、それらを断ち切って大学を辞めるのは辛かった。許してもらえないかもしれないけど、それでも辞めないと私が壊れてしまう。そんな状況でした」