ヒットメーカーの舞台裏

2009年7月1日

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池原照雄 (いけはら・てるお)

ジャーナリスト

1950年生まれ。専門紙や全国紙の経済記者として自動車、エネルギー、金融、官庁などを担当。00年からフリーになり幅広い執筆、講演活動を展開。著書に「トヨタVSホンダ」(日刊工業新聞社)、「図解雑学 自動車業界のしくみ」(ナツメ社)など。

 電球タイプだが光源は蛍光灯であり、消費電力は白熱電球より8割少ない。CO2(二酸化炭素)の排出削減に威力を発揮する省エネ製品として注目され、東芝のこのシリーズのランプは2008年度下期で前年を5割上回る売れ行きとなっている。

東芝 電球形蛍光ランプ
「ネオボールZリアルPRIDE」

 最新モデルの「ネオボールZリアルPRIDE」は08年7月に発売、消費電力を従来製品の12ワットから10ワットに落として省エネ性能を一段と高めた。白熱電球の60ワット形に相当するもので、実売価格は1200円前後と白熱電球の10倍くらい。だが、寿命が約12倍なので元は取れ、8割安い電気代が丸々節約できる。

 このランプが人気を得ているのは省エネ性能だけでなく、限りなく白熱電球に近い形状としたことだ。電球形蛍光ランプは、ソケットに差し込む口金付近の胴体が太くなりがちで、照明器具によっては装着できない場合もある。白熱電球をこのタイプに取り替える顧客からは、形状が同じなので安心して買えるという声が多く寄せられるという。

永遠のライバルに負けた屈辱感をバネに

 開発を担ったのは、東芝ライテック・技術本部管球技術第一担当参事の筏(いかだ)邦彦(39歳)。1988年の入社以来、ほぼ一貫して蛍光灯の開発に従事してきた。社歴20年。円熟したエンジニアが満を持して送り出したようにも見えるが、実際は苦闘の連続だった。

 電球の歴史は東芝がリードしてきた。およそ120年前に国産初の白熱電球を送り出している。一時採用していた「マツダランプ」のブランドは年配の人には懐かしい存在だろう。電球形蛍光ランプでは、1980年に世界の先鞭をつけた。

 当初は、消費電力は20ワットと大きく、形も球体や円柱形に限られた。ここから、明るさは落とさずに消費電力を小さくし、かつ用途の広い昔ながらの電球の形に近づけるアプローチが始まった。形が制限されるのは、蛍光管を折り曲げて収納する技術や電子回路のコンパクト化が難しかったからだ。

 それでも05年には業界初となる、12ワットの消費電力で形状も白熱電球と同一のタイプを発売してシェアを伸ばした。さらなる省エネを目指し、今回の最新モデルの開発チームは06年にスタートした。ところが、プロジェクト発足から間もない06年秋、パナソニック(当時松下電器産業)が10ワットタイプを売り出した。東芝と電球市場をほぼ2分する「永遠のライバル」(筏)に先行を許したのは衝撃だった。「形状にはこだわらない。10ワットの製品化を、とにかく急いでくれ」。筏にはそうした指示が出された。

 ほぼ1年遅れで商品化するが、にわか仕立ての後追い製品は、東芝らしからぬものとなった。口金に近いところは既存商品よりも太くなった。筏は「あのモデルのことは、もう思い出したくない」と苦笑する。その屈辱感がバネとなった。

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