次々に去っていくチームメイト
部員2人のどん底の経験から得たもの

7人制ラグビー日本代表 竹内亜弥さん(ARUKAS QUEEN KUMAGAYA所属)


大元よしき (たいげん・よしき)  ライター

1962年東京生まれ。外資系IT企業からライターに転身。スポーツのほか、歴史関連も執筆中。著書に『あの負けがあってこそ』『命のバトン―自閉症児と個性派不登校児の教室』『1万回の体当たり―タックルマン石塚武生 炎のメッセージ』(以上ウェッジ)、『一緒に見上げた空』(扶桑社)。

あの負けがあってこそ

アスリートにとって、順風満帆の競技人生などは考えられない。怪我や敗戦は避けては通れない試練である。それは、「二度と口にしたくない」「思い出したくない」ものだったり、過去のものとして仕舞い込めない激しい葛藤として、長い間抱えているものかもしれない。しかし、敢えて競技人生最大の「敗北」を振返っていただくことで、その負けをいかに克服し、好転の機としてたちあがっていったのか、その心のあり様に焦点を当てたい。
人は誰もが挫折感や敗北感を乗り越えながら、自身で道を切り拓いてゆく創造者である。アスリートたちの敗北からの軌跡に触れ、人間力溢れる言葉に接してもらいたい。(画像:iStock)

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バレーボールから転向4年目にして女子セブンズ日本代表(以下、日本代表)入りを果たし、また2014年に新設された女子セブンズの国内サーキット大会「太陽生命ウイメンズセブンズシリーズ」では龍ヶ崎、札幌、横浜の3大会を通して全勝優勝を遂げたARUKAS QUEEN KUMAGAYAのキャプテンとして一躍脚光を浴びる存在となった竹内亜弥。ここに京都大学卒業という経歴を添えれば、誰もが羨む文武の才に恵まれたスーパーアスリートを思い描くはずだ。

 だが、竹内が語った「あの負け」とは、意外な過去のできごとだった。

ひとり、またひとりとチームを離れていく

 竹内亜弥(タケウチ アヤ)、1986年岐阜県に生まれる。

竹内亜弥さん

 「私はバレーボールから転向して日が浅いのでラグビーで『あの負けがあってこそ』を語れるほどのキャリアがありません」と前置きして、竹内は少し間を置いた。グラウンドで見せる真っ直ぐな激しさも、静かに言葉を選ぶ姿も、誠実という人柄一点に結ばれているように感じられる。

 「中学から大学までバレーボール部にいたのですが、私はいわゆる強豪校での経験がありません。中学、高校は進学校のため勉強が優先の環境で部活を続けていました」

 「大学(京都大学)は高校時代にバレーボールをやってこなかった人もいるような部でした。強いチームでやっていた部員もいればそうでない部員もいて、それはそれで魅力的ではあったのですが、最初は10名近くいた同級生が、最終的に私以外は全員が辞めてしまったのです。一気に全員辞めてしまったわけではないので、本当のところそれぞれの理由はわかりません。尽きるところ部活が面白くないということじゃないかと思っています」

 「『あの負け……』ではありませんが、これが私の人生最大の転機になった出来事です」

 苦い経験である。

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「あの負けがあってこそ」

著者

大元よしき(たいげん・よしき)

ライター

1962年東京生まれ。外資系IT企業からライターに転身。スポーツのほか、歴史関連も執筆中。著書に『あの負けがあってこそ』『命のバトン―自閉症児と個性派不登校児の教室』『1万回の体当たり―タックルマン石塚武生 炎のメッセージ』(以上ウェッジ)、『一緒に見上げた空』(扶桑社)。

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