2024年4月26日(金)

佐藤忠男の映画人国記

2009年7月17日

 川崎、横浜から湘南にいたる横須賀線沿線は、映画界にとってはまことに豊かな人材供給源である。

『晩春』。原節子29歳の作品。舞台は鎌倉、製作は松竹大船撮影所、と神奈川に縁の深い作品。監督は言わずと知れた小津安二郎。DVD発売中3,990円(税込)。発売・販売元:松竹株式会社映像商品部

  まず川崎では、その名も川崎と名のる川崎弘子(1912~1976年)。いつもいまにも涙がこぼれそうないじらしい表情で昭和も戦前に松竹大船の女性メロドラマのスターだった。逆にいつもしっかり者の役で戦後民主主義の申し子のような女性を演じた藤村志保も川崎出身である。年輪を重ねて和服姿のおちつきが見事だ。

 横浜では、戦前の可憐な少女から戦後は小津安二郎の一連のホームドラマのヒロインとして、育ちのいい中流家庭の女性の何気ない品の良さを演じて敗戦後の日本人の希望の星だった原節子(1920年~)。おなじようにメロドラマの美女から出発して一歩一歩知性と品格に磨きをかけてきて大スターとなった岸恵子。年輪を重ねてユーモアに味わいの出てきた草笛光子。バイタリティあふるる庶民派も、硬派の社会派ならば望月優子(1917~1977年)で、大衆路線ならばこれはもうきわめつけの大物の美空ひばり(1937~1989年)である。

 男では父の宇野重吉の飄々とした風格を鮮やかに受け継いでいる寺尾聰と、いまや若手の演技派トップである浅野忠信が横浜の出身である。いまの日本映画で渋い落ちついた役柄というとまずはこの二人ということになる。

  さらに横須賀までゆくと、山口百恵に名取裕子がいる。なんだかぐんと力強いではないか。山口百恵は生まれは東京の渋谷であるが横須賀で育ち、ここを故郷として苦労して成長した少女時代を、自分の人間形成の原点として強調しているのである。そういえば昭和初期の大船映画で貫禄十分のタフな女性をもっぱら演じていた女優に伊達里子(1910~1972年)という人がいたが、彼女も出身は横須賀だった。

 1950年代半ばに、この沿線の逗子あたりを中心とする湘南海岸を主な舞台とする太陽族映画と呼ばれるものがブームとなって、日本映画の流れを大きく変えた。戦後のそれまでの日本映画は、生まじめさや純情さが基調だったのだが、まだ学生だった石原慎太郎の小説『太陽の季節』で、この湘南海岸でヨットを乗りまわしてガールハントをする大学生たちという話が異常なまでのブームとなって、青春というイメージを大きく変えたのである。これが流行となったところで生まれたスーパースターが石原裕次郎(1934~1987年)だった。石原慎太郎の弟であり、兄の小説のモデルでもあった彼は、生まれは神戸であるが、小学生の頃から逗子で育っている。

 横須賀線沿線ではないが地域としては近くて、やはり海辺の町の茅ヶ崎からは加山雄三が現れる。ブルジョアふうの育ちでスポーツマンで同年輩であるが、石原裕次郎が不良っぽい役柄とポーズで売り出したのに対し加山雄三はもっぱら明朗で健康な好青年という役柄だった。(神奈川県編続く)


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