田部康喜のTV読本

2015年3月4日

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田部康喜 (たべ・こうき)

コラムニスト

福島県会津若松市生まれ。幼少時代から大学卒業まで、仙台市で暮らす。朝日新聞記者、朝日ジャーナル編集部員、論説委員などを経て、ソフトバンク広報室長に就任。社内ベンチャーで電子配信会社を設立、取締役会長。2012年春に独立、シンクタンク代表。2015年10月から東日本国際大学客員教授として地域振興政策を研究、同大・地域振興戦略研究所副所長を兼務。

救出活動を優先
現場の判断を信じる

 夕刻になって、現地は雪となった。夜間の飛行と救助作業は難しい。埼玉県にある本田エアポートにいったん駐機して、翌日からの活動を再開することになった。

 「あの日に現地に到着していたら」と西村は悔やむ。

 実は、ヘリコプターの受け入れ体制も巨大津波によって破壊されていた。大災害において、宮城県内の仙台空港や自衛隊の基地など4カ所の飛行場が拠点となるはずだったが、そのうち3カ所は使用でなくなった。燃料保管倉庫も被害を受けた。

 緊急消防援助隊のヘリコプターは、燃料が切れかかると、往復1時間かかかる山形空港を利用するしかなかった。

 熊本隊の西村が石巻市上空に達したのは、12日9時30分。本部の指示はまず、被害状況の把握だったが、津波で水没した家屋の屋根で手を振る人の姿を認めると、救出活動を優先しながら、被害状況を合わせて把握するのがよい、と判断した。

 西村は本部にその旨を告げる。

 この時、危機担当官の小松は、現場を信じて、救出作業を任せることにした。

 「出たとこ勝負でした」

 サーチ&レスキューが全国から集まったヘリコプターに伝えられた。

 12日の1日間にヘリコプターが救出した人数は、650人にのぼった。

新たな災害対策の道を探る

 愛知隊の地上部隊の一員だった、原科亨介はいまもひとりの女性の死を忘れられない。3月20日午前9過ぎ、津波の被害を受けて1階が壊滅していたが、2階部分が残っていたので、生存者の可能性を信じて捜索にあたった。

 屋根の部分に渡辺きみ子さんを発見する。手には携帯電話が握られていた。

 「呼吸と脈をみて、死亡を確認しました。もっと前に行こうと思って発見が早ければと思います。また、常日頃からもっと訓練していればと。水の中でも出ていける力をつけていれば……」

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