東日本大震災からまもなく4年が経とうとしている。震災地やその救援にかかわった人々はいまもその記憶を忘れない。
阪神・淡路大震災を教訓にして誕生した、緊急消防援助隊が初めて直面した大災害が3.11であった。NHKスペシャル「史上最大の救出~震災・緊急消防援助隊の記憶~」(3月1日、再放送予定・5日午前0時40分~1時29分)は、隊員たちの震災当時の苦闘と、そこから学んで次の大災害に備えようとしている彼らの記録である。
「あの日に現地に到着していたら」
東日本大震災の死者・行方不明者は1万8480人。これに対して、救助された人の数は2万7577人である。
緊急消防援助隊は都道府県ごとに組織されている、災害救出のプロ集団である。ヘリコプターを利用した空からの救助と地上の救助部隊からなる。大震災の救助活動を教訓とするために、各部隊には膨大な映像記録が残されている。
番組は、隊員隊たちのインタビューをはさみながら進行する。
2011年3月11日午後2時46分、宮城県庁は6分以上にも及ぶ激しい地震の揺れに揺さぶられた。対策本部が設置されたのが午後3時30分、この時、テレビの画面には気仙沼地方を襲った巨大津波の映像が映し出される。
県の危機管理担当官の小松宏行がインタビューに登場する。のちに、史上最大の救出劇のキーマンとなる人物である。
対策本部は携帯や無線によって、県内の被害状況を把握しようとするが、そのインフラは遮断されていた。
「被害の状況がまったくわかりませんでした」
午後3時36分、小松は政府に対して、緊急消防援助隊の出動を要請する。全国の援助隊のヘリコプターは75機、隊員は4600人である。
熊本隊の副隊長である西村澄生は巨大地震が発生直後から、休日の隊員も呼び出した。直線距離で1000㎞ある宮城県まで、いったいどのようにして飛行するか、果たして行き着けるだろうか。
そんな思いを抱きつつ、西村ら9人の隊員が乗ったヘリコプターが離陸したのは、午後4時18分。それと呼応するように、全国の15機が宮城県を目指した。