ペコペコ・サラリーマン哲学

2009年8月31日

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 昨日(2009年8月30日)大騒ぎの総選挙が終わりました。今回の選挙は、本格的な「マニフェスト選挙」と言われました。

 マニフェストは、国会議員・政党が国民との間で結ぶ「約束」です。今回は「約束」というものについて考えてみたいと思います。

 考えてみれば、あらゆることが「約束」で成り立っています。取引先との打合せ日時を決める「約束」に始まって、仕事の進め方を上司と決めるのも「約束」ですし、そもそも仕事自体が、会社と個人との間で結んだ「約束」です。こういう小さな「約束」が積み重なって、個人と社会との「約束」である法律や、国民と国家の「約束」である憲法につながります。

 ほかにも、あまり「約束」の一種だとは認識されていない「約束」もたくさん存在します。たとえば、友情は友人同士の「約束」ですし、夫婦の関係も夫と妻との間の信頼という「約束」です。そして、その先には、自分が自分自身との間だけで結ぶ「約束」があります。

 私は、数多くの「約束」のなかで、もっとも貴いのが、「自分がこれでいいと心から思えるような、つまり、自分で自分を納得させることのできる、自分自身との『約束』」である、と思います。上司との「約束」も、友人との「約束」も、相手のことは考えないで、自分の心に手をあてて、自分自身がすっきり納得できるレベルまでもっていけるかどうかが、一番大事なことであり、「約束」の行き着くところだと思います。

長兄が自分自身と結んだ「約束」と「その実行」

 ここで少し、昔話をさせてください。前回のコラムでも書きましたが、私は、とても遅く生まれた子ども(父が54歳・母が41歳)でした。長兄は18歳、姉は15歳、次兄は12歳、離れています。

 私は9歳のとき終戦を迎えましたが、家族6人(姉は結婚)で8畳一間の間借りで暮らさなければならないほど貧乏でした。しかし、このころは、日本国中、平等に貧乏でした。

 私の家が貧乏でもっとも苦しかったのは、大恐慌の1929(昭和4)年ごろから、私が生まれる1936(昭和11)年ごろだったそうです。

 1929年、私の父は家族を連れて、栃木県の西那須野に移り住みました。西那須野小学校の代用教員をやる傍らで、農業を営みました。いわゆる屯田兵、開拓農民です。3ヘクタールの土地でキャベツを作りましたが、収穫の最後のところで、キャベツがまるまらず、大失敗となりました。それで、夜逃げ同然で東京に出てきたそうです。

 父は無職となり、代わりに母が生命保険の外交員となり、家族を支えました。生活は非常に苦しく、その上、父が株の投機に手を出して失敗したこともあり、長兄ら3人の子どもたちは肩を寄せあって涙することも多かったそうです。

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