オトナの教養 週末の一冊

2015年9月3日

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本多カツヒロ (ほんだ・かつひろ)

ライター

1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。ブログ:http://golazo-sala.cocolog-nifty.com/pinga/

ーー自己啓発書が提示する価値観は、ここ数十年で変化しましたか?

牧野:はい、それで、今述べたようなメッセージが30年くらい前から2010年代までほとんど変わらないわけです。時代は変わっても、サラリーマンが自分を啓発しようとするとき、頼りになるのが「ベタな男らしさ」であるというのは変わらないんだなと。何がなんでも会社で出世すべし、というわけではなくなっているんですが、結局男性がまず求めるべき居場所は会社で、そのために20代・30代は捧げるべしという基本線は揺らいでいないと思いますね。

 女性の場合は、一昔前のように主婦や母親になることが自明視されなくなっていて、結婚や出産が「選択肢のひとつ」ということにはなっているのですが、「自分らしさ」を何より重視すべしという基本線は動いていません。

 かつてから大きく変わったことの一つに、本そのものの作り方があると思います。1990年代までは、1920~30年代あたりまでに生まれた作家や評論家、エッセイストなどによる、人生訓・処世訓テイストのものが生き方を論じる本の主流だったように思います。これが2000年代になると、レイアウトがそれまでと比べて格段に読みやすくなり、文字数が少なくなってさらに強調や下線が入り、図表やイラストが入りこみ、時にはストーリー仕立て・マンガ仕立てになった。敷居が下がって、エンターテイメント性が高まって、商品としても作りが洗練されるようになった。

 書き手も世代交代が進み、実にさまざまな職業の人たちが参入するようになり、内部の差異化も激しくなっているように思います。たとえば、自己啓発専業作家といえるような人の一人に中谷彰宏さんがいますが、彼の本は1990年代から現在に至るまでとてもあっけらかんとしていて、その軽さがおそらく彼の持ち味になっている。

 一方、2010年代における代表的な専業作家といえる千田琢哉さんの場合は、「コピーの仕方ひとつで決定的な差が出る」「今ここでノーといえば今後一生うまく行かない」というような感じで、もう少し悲壮感というか強迫性が高まっている。さらに他の人の本を読めば、また違うテイストで作られている。

 このように、個々の書き手の個性が際立つように今日の自己啓発書は作られていると思います。で、自己啓発書間で基本的なメッセージやハウトゥ自体に大きな差はないので、結果として読後に残るのは書き手の人となり、いわば「キャラ」が大きくなる。自己啓発書の世界は、いつごろからかそういうキャラ戦争の様相を呈してきたようにみえます。

ーー男性が子育てや家事に参加するのが当然だというご時世ですが、自己啓発書では男性はとにかく仕事第一といった価値観が今でもあるのでしょうか?

牧野:はい、私が読んだ限りでは、どうしてもそうとしか思えません。近年ではその価値観がある部分強まり、仕事に強迫的に没入すべしと主張する書き手が多くなっていると思うのですが、そのことをどう考えられますか。私は、そういった本を読まなければならないくらい、今の仕事の状況がきついのかなと思ってしまいます。自己啓発書は、自らを奮い立たせるために読む部分があると思いますが、日常の些細な出来事をとりあげ、ここもあそこも分岐点だ、さあ、と常に自分を追い立てねばならないというのは……。

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