オトナの教養 週末の一冊

2015年9月3日

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本多カツヒロ (ほんだ・かつひろ)

ライター

1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。ブログ:http://golazo-sala.cocolog-nifty.com/pinga/

ーーたくさんの自己啓発書を実際に読んで分析されたと思うのですが、正直に言って、大変ではないですか?

牧野:自己啓発書は、特に最近のものはとても読みやすく作られているので、資料として読む分にはとても読みやすいです。それに、基本的にはあっけらかんとしているジャンルなので、読んでいて嫌な気持ちになることもあまりありませんし。

 ただ、ワタミの創業者で、参議院議員の渡邉美樹氏が経営者時代に書いた本は読んでいて辛かったですね。その本に書かれていることが本のなかだけで済めばいいのですが、そのメソッドはワタミの社員にも実行させていると書かれてあるのをみたときは、本をめくる手が止まってしまいました。2008年、ワタミフードサービスでは女性従業員の過労自殺が起こっていましたよね、それを思い出して。これは渡邉氏の本だけがどうという話ではなく、他の本でも同様なのですが、自己啓発というのは、読む個人の自由、読み手の価値観次第というだけでは済まされないのだことを、その負の側面をもって考えさせられました。そういう点を本書では書ききれていないのですが……。

ーー本書ではフランスの社会学者、ピエール・ブルデューの枠組で分析されています。その枠組で改めて自己啓発を見立てるとどうなりますか?

牧野:ブルデューの主著に『ディスタンクシオン』という大著があります。これは英語ではdistinction、つまり差異とか区別とかを一般的には意味する言葉で、ブルデューの訳書では差異化や卓越化と訳されることが多いと思います。ブルデューがこの言葉をタイトルにもってきて論じようとしているのは、ある振舞いのちょっとした差異によって、その人が卓越した、洗練された人間であるか否かを見分け、個々人の人となり(主に階級的出自を中心とした社会的アイデンティティ)を判断してしまう社会のメカニズムでした。私は、細かな振舞いに注目して、人間をあれこれ上げ下げして判断しようとする自己啓発書の性質が、『ディスタンクシオン』の枠組から分析できるのではないかと考えました。

ーーブルデューの枠組みには難解さを感じる読者もいるかもしれませんね。

牧野:ブルデューの枠組を使ったことも幾分あるかもしれませんが、自己啓発書という柔らかい読み物の分析をかっちり学術的に行う、というスタンスにいまいちついていけないという反応が結構ある気がします。新書のようなボリュームですっきり分かりやすく書いてほしいという。あるいは、もっと自己啓発書についてばっさり断じてほしい、という反応もありました。ともにすっきり分かりやすくないぞこの本は(笑)、ということだと思うのですが、もちろん私がもっと分かりやすい文章を書けるようにしなければならないと思う一方で、柔らかくてすっきり分かるもの、白黒をばっさり分けるものだけが書き物ではないとも思います。

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