佐藤忠男の映画人国記

2009年10月11日

»著者プロフィール

 「チルソクの夏」という映画は、下関の町のしっとりとおちついた風情をこまやかに描いたところがひとつの長所になっている。脚本を書いて監督した佐々部清がこの町の出身で、どうりでとうなずける。関釜連絡船で知られたこの町では、日韓関係が良くなかった時期にも釜山と交互に高校生の陸上競技大会をやっていて、そこからラブロマンスが生まれ、連絡船の港もドラマの重要な舞台になる。その意味でもこの町ならではの作品といえる。多くの地方都市がこういう町の誇りを映画にして発信し、良い意味でお国自慢を競うといいと思う。佐々部清はその後、「半落ち」「出口のない海」「夕凪の街 桜の国」などの良質の作品をつぎつぎに出して、いまや押しも押されもせぬ中堅監督になった。

 アニメーションの監督の庵野(あんの)秀明は宇部市生まれ。「新世紀エヴァンゲリオン」はわけのわからない難しい作品と言われながらヒットした。アニメーションも進歩して高級なファンの層も厚くなって、難解なアニメがあってもええじゃないかと気勢をあげて、それがブームを引き起こすこともあるという面白い時代になったのだ。

 ドキュメンタリーの監督として多くの問題作を出している原一男も宇部市出身である。とくに嫌がる相手にも押しかけて行って強引にインタビューして戦争の真実を暴露した「ゆきゆきて、神軍」は傑作である。

 下関市はすぐれた映画人を何人も出している。いちばんの大物は田中絹代(1909〜1977年)。無声映画時代の「伊豆の踊子」の最初の映画化での可憐さから、メロドラマのトップスターとしての「愛染かつら」を経て、世界映画史上の至宝となっている「西鶴一代女」や「山椒太夫」などの溝口健二作品に出演、日本映画史上最大の女優と言ってもあまり異論は出ないだろう。田中絹代は本名である。兵役を逃れて行方不明になっている兄がいて、いつの日かこの兄が連絡をとってきてくれないかという、かすかな希望のために芸名を持たなかったのである。晩年にはもうひとりの兄の看病のために病院に寝泊まりしておられた。本当に家族思いの人だった。

 女優では木暮実千代(1918〜1990年)も下関である。戦前の若い頃には気の強い尖端的なモダーンな女性といった役どころで売り出していたのが、戦後、お色気たっぷりのグラマラスな大人の女の役どころで一世を風靡したものだ。「青い山脈」の田舎の芸者の洒脱さがその転機だった。

 力強いテノールで日本のオペラ界を代表する歌手だった藤原義江(1898〜1976年)も下関出身。その歌唱力と見事に野性的な風貌を買われてトーキー初期の「ふるさと」という映画に出ており、いま見てもその圧倒的な声の力にうなってしまう。

関連記事

  • PR
  • 新着記事

    »もっと見る