関釜連絡船はどこか寂しげに下関を出港
8月30日 輪行バッグに入れた自転車と荷物20キロを担いで早朝に川崎の自宅を出立。強烈に重い。自転車は三十数年前に製造されたブリヂストンのロードレーサー。これに荷台を無理矢理に設置したもの。荷物はテント、寝袋、着替え、旅行用品、修理工具、タイヤやチュウブ等の予備品、ヘルメット等。
青春18切符でJRを乗り継ぎ、乗り継ぎの度に自転車と荷物を担いで、午後5時頃新潟市内の旧友KY氏宅到着。奥様の美味しい手料理と地酒で旧交を温める。
9月2日 8月31日以降日本海沿いにJR各停旅。9月2日午後山口県湯田温泉到着。駅前で自転車を組み立て、荷物を積んで宿まで自走。夕刻、旧友の弁護士NO氏と会食。山口市の法曹関係者も加わり郷土料理と地酒で盛り上がる。福祉と司法の関わり方など普段馴染みのない分野であるが非常に興味深く議論が真剣で面白い。深夜まで談論風発。やはり幕末の志士を輩出した土地柄である。
9月3日 17時過ぎやっとJR下関に到着。駅で自転車を組み立て関釜フェリーターミナルまで自走。19時過ぎに小雨の中、ぼーっと汽笛が鳴ってフェリーボートは出港。デッキから眺めていたが外国航路の大型船の出港に伴う賑わいや晴れがましさがなく淋しい。周囲を見渡すと観光客らしい日本人は私一人のようである。
フェリーの切符売り場のお姉さんの話では最近は日韓関係を反映して一般の日本人観光客はほとんど見かけないと。韓流ブームの時期はおばさんたちの団体・個人の旅行客や若い人たちも多くてフェリーも賑やかであったと。本日乗船しているのは韓国人のトラックドライバーが20人くらい、韓国の担ぎ屋のおばさんたちが15人くらい、それから一般の商用や学生の韓国人男性が7~8人くらいとの説明。