地方を巡り普段着の韓国を探る
・期間:2014年8月30日~10月2日
・旅行費用:12万円
「そもそもどうして自転車で韓国に行くんだ?」
何人もの友人知人から同じ質問を受けた。日韓関係が最悪と言われるなかでわざわざ“完全AWAY”の韓国を自転車で苦労しながら旅行することについて訝しく感じたようであった。
私が子供の頃、昭和30年代の初めの京浜工業地帯の労働者の町では「朝鮮人」と呼ばれていた人々は現在よりも比較的に身近で特殊な存在であった。少し離れたところには通称“朝鮮人部落”と呼ばれる地域があり、町内にも朝鮮人家族が数軒住んでいた。そして私の町の一般の日本人労働者階級の家庭にとっては“すこし怖い存在”でありあまり近づきたくないような存在であったように思う。
小学校では時々下校時間になると「今日はチョンコウ(朝鮮人学校)の連中が隣町から来ているから早く家に帰ろう」と誰かが呼びかけていたりした。街で朝鮮人の子供達が集団で前方から歩いて来ると慌てて逃げた記憶がある。ある日曜日の昼過ぎに十人くらいの朝鮮人の男たちが「日本人のバカヤロー」「俺たちは待ちに待った朝鮮人の国に帰るんだ」「貧乏でケチな日本とはおさらばだ」と昼間から酔っ払って罵声を上げながら町を練り歩いていた。北朝鮮に帰国する人々であった。当時の在日朝鮮人の鬱屈した思いと新生国家、朝鮮民主主義共和国と祖国の偉大なる英雄金日成への期待が爆発していた。
それから四半世紀の間に韓国は”漢江の奇跡”という経済成長を達成した。私は1980年半ば頃から2000年頃まで商用でソウルに十回以上出張したが、その経験から韓国人と韓国文化に興味を抱き、なにか親しみを感じていた。さらに韓国料理が大好きになった。当時の交渉相手であった韓国のビジネスマンは韓国社会のエリート層であり猛烈サラリーマンであった。日本人に“負けるものか”という気迫と気負いを痛いほど感じた。
そしてさらに15年経った現在、“地理的には最も近く政治的には最も遠い国”とマスコミで報道されている韓国がある。韓国という国は知っているようで実際はよく分かっていないというもどかしさを感じていた。
退職して自由人となった視点から韓国の普通の人々の普段着の生活に触れて日韓関係を考えてみたいと思った。そのためには地方の町をゆっくりと巡り時間やルートを気にしないで自由に移動して宿泊する手段が必要となる。結果的に自転車にテントを積んで旅行する方法が最適と判断した次第である。