2024年12月24日(火)

古希バックパッカー海外放浪記

2015年12月27日

地方を巡り普段着の韓国を探る
・期間:2014年8月30日~10月2日
・旅行費用:12万円

反日歴史観の集中講座“深夜便”

 9月13日 盈徳(ヨンドク)市付近の小さな漁村“オボリ”の東屋で寝袋を敷いて9時前に就寝。暖かかったこともあり降雨の心配もなかったのでテントを設営せず東屋の床に直接寝袋を広げた。

海辺の東屋にテントを設営、東海岸の望洋の近く

 熟睡していると突然男の大きな声で起こされた。すわ強盗かと飛び起きた。時計を見ると10時過ぎである。日本語で「こんなところでなんで寝ているんだ」と中年の男が言っている。どうも強盗ではないようなので安堵。夕刻近隣の老人たちから許可を得ている旨を説明。その老人の一人がこの男の母親であったらしい。外国人が東屋に泊まっているが日本人かアメリカ人らしいと男に言ったそうである。

 寝ぼけ眼で起き上がると男は矢継ぎ早に質問してくる。日本から自転車で韓国一周のテント旅をしているという趣旨を告げると「日本人が一人で旅行するのは危険だ。そもそも日本人はそんな変なことをしないですよ」とかなり流暢な日本語でしゃべりまくる。

 住居はどこかと問われ「東京」と回答すると「東京のどこか」と聞くので「実際には川崎市の北のほう」と答えると「川崎は“川向う”で裕仁は皇居を守るために多摩川の南側、すなわち神奈川県で連合軍を防ぐ考えだった。だから沖縄と同様に川崎の住民は裕仁の犠牲にされるところだった。裕仁はそうした人間だ」と異様な論法で天皇批判を始める。確かに多摩川の二子玉川の架橋は陸軍の戦車部隊が聖都防衛のため迅速に通過できるように橋脚が設計されていたと郷土資料館で読んだことがある。

 その男、K氏は韓国の商社(どうも財閥系商社のS社ではないかと推測)の元東京駐在員で日本に7年住んでいたという。現在ソウル在住の51歳。偶々故郷の母親に会いに来て私に遭遇したわけである。日本語は相当な水準であり語彙も豊富である。日本のひと昔の猛烈サラリーマンを彷彿とさせるタイプだ。私が退職して何の後ろ盾もなく一人で個人旅行しているので気兼ねなく対日批判ができると思ったのか、K氏が長年にわたって培ってきたと思われる反日歴史観を滔々と披瀝する。


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