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2010年7月5日

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山内昌之 (やまうち・まさゆき)

東京大学大学院教授。1947年、札幌生まれ。北海道大学卒業、東京大学学術博士。カイロ大学客員教授、ハーバード大学客員研究員を経て現職。専攻は国際関係史。紫綬褒章、司馬遼太郎賞などを受ける。主著に『幕末維新に学ぶ現在』(中央公論新社)、『帝国と国民』(岩波書店)などがある。

11日に迫った参院選。W杯や相撲界のスキャンダルの陰に隠れ、いまひとつ盛り上がりに欠ける印象が否めないが、有権者たちにはぜひ、政治家に必要な資質が候補者たちにあるかどうか注視してもらいたい。その資質とは、歴史家と重なる。複雑な事象を編む現実感覚、目標にシンプルに迫る力、人間心理の洞察力ー。これらがいかに重要だったか、鳩山前首相の言動を思い出せばお分かりいただけるだろう。参院選に臨む政治家たちの資質を判断し、投票してほしい。

 アルゼンチンの作家ボルヘスは、ある短編小説で架空の中国の賢人・崔奔についてこう述べたものだ。「あらゆるフィクションでは、人間がさまざまな可能性に直面した場合、そのひとつをとり、他を捨てます。およそ解きほぐしようのない崔奔のフィクションでは、彼は─同時に─すべてをとる。それによって彼は、さまざまな未来を、さまざまな時間を創造する。そして、これらの時間がまた増殖し、分岐する。(中略)崔奔の作品では、あらゆる結末が生じます。それぞれが他の分岐のための起点になるのです」(鼓直訳「八岐の園」『伝奇集』岩波文庫)。

 これは、辞任した鳩山由紀夫前首相が普天間問題を8カ月間も迷走させた政治手法や一貫性のない発言を比喩したものと理解しても、あながち的外れでない。普天間の移設に際して沖縄県民と対米関係と連立与党(とくに社会民主党)を同時に満足させる解を求めて、自民党政権が細心の注意で積み上げたガラス細工のような工程表を惜しげもなく壊してしまった。しかし前首相は、国外、最低でも県外への移設という新たな「分岐」に三者を引っ張りこむことに失敗し、とどのつまりは辺野古周辺の現行案に戻ることになった。これによって対米関係をともかく安定軌道に戻し、東アジア危機への対処が可能になるかもしれない。とはいえ社民党の連立離脱という「分岐」を招き、沖縄県民は鳩山氏の予知しなかった「分岐」と「結末」たとえば日米安保体制そのものを強く否定しかねない勢いである。自分がつくった「分岐」が予測不可能な未来や時間につながる恐れをもたない政治家とは何であろうか。

政治家に求められる
常識力と現実感覚

 政治とは歴史そのものである。そして、政治はさながら「クモの巣」や織物のように複雑につくられているのだ。まして、内政と外交にかかわる三つの条件を思いつきで結びつけても、鳩山氏が複雑な全体を外側から調査し、三つを同時に満足させるアルキメデスの点を見つけられなかったのは当然であろう。当事者の利害が織物のように微細に入り組んだ政治の世界で、たくさんの要素を一つ一つに分解して最適の解を求めても混乱が起きるだけなのである。県民、アメリカ、社民党という一つだけでも複雑な政治的要素を加減して一度で合意形成をはかるテストに正解が見つかるはずもない。せめて可能なのは、ある部分によって別の部分をテストし、二つの要素によって合意形成を果たせるくらいであろう。

 最重要の二要素とは沖縄県民とアメリカにほかならない。衆参合わせて423議席をもつ民主党がわずか12議席の社民党に国の安全保障と地域住民の将来への決定権を左右させたのは、もはや憲政の常道、民主主義の本筋から逸脱している。

 鳩山前首相に一貫して欠如していたのは、世界史や日本史のリーダーなら大多数が持ち合わせた歴史的思考に基づく「常識力」なのである。イギリスの政治思想家アイザイア・バーリンによれば、歴史的思考はいろいろな概念やばらばらの事象を「ある状況に適合させようとする常識の働き」と似ているのだ(上森亮『アイザイア・バーリン─多元主義の政治哲学』春秋社)。

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