2024年4月27日(土)

中島厚志が読み解く「激動の経済」

2010年8月12日

国民の決意が問われている

 市場競争で経済活力を呼び戻すことや給付に見合った負担増は国民の痛みを伴う。しかし、痛みなしに財政再建など出来るはずがない。まして、日本の場合には、国際的に見れば行き過ぎた競争社会などでは全くない。むしろ、国内でまともな市場競争が未だ実現していないことが、経済活力がなく、国民の自助努力すら涵養しない社会を作り上げてしまっているとすら見える。

 もちろん、激烈な競争社会は厳しい優勝劣敗などを通じて多くの歪みを生む。だから、競争を絶対視することはできない。しかし、競争が歪みをもたらすからといって、競争に全責任を負わせるのは筋違いだ。日本の場合、しかるべきセーフティネットの未整備や、内外で日常的に繰り広げられている競争にすら適合する人材を育てきれない教育の問題なども背景にあるからだ。

 ちなみに、スウェーデンでは、リーマン・ショック前の2008年8月と今 年6月では失業率が5.9%から9.5%へと大幅に上昇している。一方で、充実したセーフティネットがあるために、2009年の個人消費は前年比 ▲0.8%と減少しているが、米国(▲1.2%)や日本(▲1.0%、暦年ベース)などと比べると落ち込みは相対的に小さい。失業率の大幅上昇は決して好ましくないが、世界有数の福祉国家とも目されるスウェーデンでも、企業の業績回復への強いダイナミズムが維持されており、国民の生活をしっかりと支えつつ も決して個人を甘やかさない姿勢が見て取れる。

 財政は国民の欲するところを示すバロメーターと言える。そこには、国民が望む公共サービスだけではなく、国民の自助努力の度合いや国がどの程度の競争社会を作っているかも投影されている。そして、日本の財政赤字が際立って大きく、来年度予算が容易には策定できない状況になっているとすれば、それは国民の競争と自助努力への決意が改めて問われていることに他ならない。
 


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