チャイナ・ウォッチャーの視点

2010年8月18日

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平野 聡 (ひらの・さとし)

東京大学大学院法学政治学研究科教授

1970年、神奈川県生まれ。東京大学法学部卒業。東京大学法学部教授。アジア政治外交史担当。著書に『大新帝国と中華の混迷(興亡の世界史17)』(講談社)、サントリー学芸賞を受賞した『清帝国とチベット問題 多民族統合の成立と瓦解』(名古屋大学出版会)がある。


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 今や、こうして形成されてきた膨大な中間層が、その有り余る資産(国内の所得格差を考えれば犯罪的な水準ではあるが)と旺盛な知識欲を以て、彼らにとって最大の「忘れ得ぬ他者」(B・アンダーソン『想像の共同体』)である日本に殺到し、彼らが改革開放以来抱いてきた憧憬を満足させ、さまざまな見聞を深めて持ち帰ろうとしているのである。その数は、100年前の清国留学生の殺到、そして1980年代以降これまでの漸進的な在日中国人の増加ペースとは比較にならず、計り知れない様々な歴史的影響を引き起こすことになるだろう。

 もっとも、所詮は限られた日数の物見遊山・日本製品購入に終始するだけに、それほど大きな変化はなく、むしろ日本がかつて中国に投じた莫大な金額の経済援助を幾ばくでも取り返すのだ、と考えておられる読者も多いかもしれない。しかし、異文化世界でのちょっとした見聞や興味の分厚い蓄積が新たな趣向や行動様式につながり、ひいては世界中の様々な事物の精華を日本的なセンスと組み合わせた所謂「クール・ジャパン」が今や日本の最大のセールスポイントとなっていることを我々は知っている以上、中国からの観光客が日本で何に気づくか、その蓄積がどう長期的に中国にフィードバックされるかを注目する必要がある。

彼らは一体、日本の何を見ているのか?

 彼らはとくに日本を見る際、日本は地震や風水害が絶えず資源も少なく人口過密な東海の小国でありながら、何故ことあるごとに迅速に自然災害の被害から回復し、あるいは総じて高い経済水準と便利な社会を維持し得ているのか、しかもまさに富士山と桜に象徴されるような美しい自然や穏やかな住環境を実現しているのかという問題に強烈な関心を抱いている。それは、中国が巨大な領域と物産を擁する「地大物博」の国でありながら(実際には大きな事実誤認であるが、とりあえず彼らはそう信じている)、歴史上絶えず飢饉や天災、それに社会の混乱に悩まされてきたのは何故か? という問題意識の裏返しでもあり、容易には理解しがたい日本の経験のどこかに中国にも応用しうるものがあるのではないかという視点がある(中国から日本以外の国をみるとき、ここまで強烈な意識はないので、相当特殊な日本へのコンプレックスであるといえよう)。

 たとえば、日中関係や台湾問題がこじれると、事あるごとに今にも戦争が始まるかのような偏狭なナショナリズムを煽ることで知られる『環球時報』というタブロイド紙があるが(中国共産党機関紙『人民日報』の子会社にしてこの報道か、という体たらくではあるが、読者は多いので無視できない)、小泉元首相の靖国参拝問題を糾弾する一面トップの次の面には、日本で災害が起こった際の速やかな救援・復興体制を賛美する記事を目にしたことがある。もっとも、その内容は「日本は集団主義だから復興が速い。日本の集団主義には警戒すべきだが、長所は我々も取り入れるべきだ」という論旨で (他の新聞でも同じような論旨をしばしば目にする)、その単純な「集団主義」認識には苦笑させられたものだが、実際に四川地震の際には民間を含めた復興援助の枠組みが澎湃として起こり、中国社会に「外国の経験をもとに災害に備える」という発想が確実に定着していることに新鮮な驚きを感じたのも確かである。

⇒次ページ 東京の「清潔・秩序」を賛美する中国人

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