百年レストラン 「ひととき」より

2018年5月24日

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菊地武顕 (きくち・たけあき)

1962年、宮城県生まれ。編集者・記者。「E
mma」「女性自身」「週刊文春」「週刊朝日」と、25年以上にわたって週刊誌編集部で働く。著書に『あのメニューが生まれた店』(平凡社)。編書に「日本全国 おいしいものお取り寄せ」(文春文庫)。

 

三正さん(右)と宏之さん

 〈←旧居留地300m〉〈←南京町250m〉〈←メリケンパーク600m〉。元町駅で降りるとすぐに目に入る標識が、港町・神戸の異国情緒を感じさせる。

 徒歩で1分程の「三宮センター街3丁目」は、自然光がふんだんに入り開放感のあるアーケード街。平成7年(1995)の阪神・淡路大震災で大きな被害を受けたが、並々ならぬ努力で復興。おしゃれな飲食店やブティック、ギャラリーなどが軒を並べる。

 そんな神戸らしい商店街に、「創業明治39年」と染め抜かれた深紅の暖簾をショーウインドーに飾る店がある。同年(1906)からステーキを供してきた「赤のれん」だ。

 3代目店主の畑中三正(みつまさ)さん、4代目店主の宏之(ひろゆき)さん父子が、私達を迎えてくれた。

 「初代の名は儀市(ぎいち)といいまして、10代の半ばに屋台でビフテキとビフカツを提供したのが始まりです」

2階のテーブル席。すき焼き、しゃぶしゃぶのため各卓にコンロが組み込まれている

 三正さんが語る「歴史」に驚かされた。高校生になるかならないかの年頃に、100年以上も続くことになる店を開業させたとは!

 「祖父(儀市氏)の父は淡路の造り醤油屋の息子でしたが、諸般の事情で神戸に出て来ました。3人の子供に恵まれたものの、とにかく貧しい。末っ子だった祖父は小学校に1年通った後、7つの時から大きな材木屋さんに丁稚奉公に出されました」

希望すればテーブル席のコンロに鉄板を置き、目の前でステーキを焼いてくれる。写真は神戸牛のロース400グラム。強火で表面に〝焼き壁〟を作ることで、中はジューシーになる

 算盤(そろばん)が得意なうえ記憶力も良かった儀市氏は、すぐに頭角を現していったという。

 それにしても、数年余り働いただけの少年が、屋台とはいえ開業するとは。材木店店主や出入り業者からの理解と援助があったと想像するのが自然だ。初代の娘(三正さんの母)のみき子氏は常々、父親のことを「人を使うのがうまい」と語っていたという。良い意味で人たらしだったのだろう。



 

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