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2011年3月11日

 マリー=アントワネット(1755-93)。フランス国王ルイ16世の妃であり、華やかな宮廷文化の最後に舞った王妃であることは、周知の通り。世界史や美術の教科書に載っているアントワネットの肖像画の多くを描いた女性画家こそ、同じ年に生まれたヴィジェ・ルブラン(1755-1842)なのである。この展覧会は、日本で初めて本格的にヴィジェ・ルブランの画業を展覧すると同時に、18世紀フランスで華々しく活躍した女性画家たちの作品を広く概観している。

エリザベト・ルイーズ・ヴィジェ・ルブラン《自画像》 1800年 サンクトペテルブルク エルミタージュ美術館蔵 Photograph © The State Hermitage Museum /Vladimir Terebenin, Leonard Kheifets, Yuri Molodkovets.

 展覧会担当の同館主任学芸員、安井裕雄氏に開催趣旨を尋ねると意外な答えが返ってきた。「再発見と再評価です」。どういう意味だろうか? 「ヴィジェの回顧展は、ヴィジェの《自画像》を所蔵しているアメリカのキンベル美術館で1982年に開かれたのみです。その後、古文書の研究や作品分析が進んだりして、学術面に於いてヴィジェの研究が成熟してきました」。研究という叡智によって、美術作品の本当の価値が明らかになる。いわば、美を支える叡智。それがこの展覧会の趣旨なのか。

 「ですのでヴィジェの回顧展と位置づけて戴いても構いません。初期から晩年まで23点を集めています。同時に18世紀は女性の活躍が目立った時代なので、18世紀のフランス女性画家展としました。当時の女性画家34人による83点の作品を展示しています」。なるほど、当時の女性たちの叡智。叡智があるからこそ、美が生まれるのかもしれない…。

王立アカデミー
女性は70人中4人という狭き門

 この時代、フランス王立絵画彫刻アカデミー会員になるということは、芸術家としての地位を公的に承認されるということを意味した。しかし男性中心的社会の中で女性画家が会員になることは、容易くなかった。18世紀後半のアカデミーの定員規定はないが、ほぼ毎年70人ほどの会員がいた。その中で女性会員は四人のみと限定されていたのである。

 発表の場は限定されていたが、創作活動の場は存在していた。貴族や大ブルジョワジーの若い娘たちの教養である音楽、舞踏、作法、etc…の一部として、素描と絵画も含まれていたのだった。しかしフランス革命が起こり、貴族たちの雅は終焉を迎える。

 展覧会は「17世紀の女性画家」から「新しい時代」まで年代を追いながら、女性画家達の作品の変貌を伝える内容となっている。美術の展開と同時に、フランスの歴史を辿れるようになっている。さすがは学術体系と頷ける内容だ。


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