オトナの教養 週末の一冊

2018年5月25日

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 「天災は忘れた頃にやってくる」。

 明治の物理学者・随筆家の寺田寅彦が、災害にまつわる随筆で繰り返し訴えてきた教訓が、また現実になった。

 日本ではすでに2015年に「排除」が達成されたとWHO(世界保健機関)が認定した麻疹(はしか)。それが再び流行の兆しを見せているのだ。

(iStock/AndreyPopov)

 麻疹の「排除」とは、WHOの専門家会議の定義によれば、「広大な面積と十分な人口が存在する地域に麻疹ウイルスが常在的に伝播しなくなり、海外から持ち込まれても、伝播は持続しない状態」をいう。

 ワクチン接種によるウイルス感染との闘いは、戦略的に3段階に分けられる。第1段階の「制圧」は、ワクチン接種によってウイルス感染の発生頻度や激しさを無害なレベルに減少させることができた状態。第2段階の「排除」は、ウイルス感染の発生は阻止できたものの、再びウイルスが侵入するおそれがあるため、ワクチン接種を続けなければならない状態。

 第3段階の「根絶」にいたってはじめて、ワクチン接種をやめても感染が起こらない状態になる。「根絶」が達成されたのは、天然痘と牛痘だけである、と本書にある。

 つまり、「排除」が宣言されたわが国でも、海外から持ち込まれれば、麻疹は発生する。かつてないほど人の出入りが激しい現在、「はしかは過去の感染症」と侮ってはいられない。

麻疹ウイルスの二つの側面

 本書は、タイトルのとおり、感染症の原因として恐れるべき「脅威」のウイルスと、がん治療への応用に期待される「驚異」のウイルスという麻疹ウイルスの二つの側面を紹介する。

 麻疹の特徴、世界と日本における流行の歴史、ワクチン誕生以前と以後の科学史、さらにはワクチン接種が巻き起こした波紋や反対運動、がん治療への応用と、麻疹にまつわるすべてを平易な言葉で簡潔にまとめている。コンパクトで密度の濃い一冊である。

 著者は、北里研究所、国立予防衛生研究所、東京大学医科学研究所、日本生物科学研究所などをへて現在、東京大学名誉教授、日本ウイルス学会名誉会員などを務める。

 自身の幅広い研究や活動の原点となった麻疹について、「十数年前から執筆のための資料を揃え始めたものの、麻疹を取り巻く世界が複雑なために、なかなか構想がまとまらなかった」、「長年の肩の荷をおろすことができて、さまざまな感慨にふけっている」と「おわりに」に書いている。

 それだけに、教科書的な説明にとどまらず、患者・家族や研究仲間への思い、麻疹根絶への情熱が伝わる筆致に共感した。

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