桜に逢う


古都を感じる 奈良コレクション

3つの世界遺産と211の国宝を有し、1200年以上にわたって続く伝統行事・文化財も多い奈良。日本文化にとって、これほど大切な土地はありません。古都の呼吸が隅々まで行き渡る奈良にはファンも多く、かつて、和辻哲郎や白洲正子、入江泰吉ら多くの文化人も、その魅力に取りつかれてきました。
本連載では、2010年に平城遷都1300年を迎えた奈良のふか~い魅力を、日本史・仏教史の専門家として活躍する奈良通の著者が、タイムリーな話題とともに紹介します。

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桜の季節は短いが、今年の桜は長かった。

 桜の花の下での入学式は、このあたりでは、最近では珍しいことではなかったか。

 開花が例年より少し遅く、そのあとも花冷えの日が多かったためだろう。

 毎年4月に東大寺二月堂の参籠所〔さんろうしょ〕で花見をする。第2土曜と決まっているので、桜がすでに散っていることも多いが、今年はとてもきれいだった。格別に美しかった。

  私には、毎年逢いたくなる桜がある。「川路桜〔かわじざくら〕」である。

川路桜

 幕末の奈良奉行、川路聖謨〔かわじ・としあきら〕が植えた桜が、佐保川の堤に2本立っている。樹齢150年、相当な古木である。地元の人たちは「川路桜」と呼んで大切にしている。

 川路聖謨(1801~68)は、弘化3年(1846)3月から5年3ヶ月にわたり、奈良奉行を務めた。その間、貧民の救済や地場産業の育成に尽力し、奈良を離れる際には、別れを惜しむ人々が国境まで列を成した。

 聖謨の主な政策として、まず博奕〔ばくち〕の取り締まりがある。江戸時代の奈良では「大仏と春日大明神〔かすがだいみょうじん〕のほかは博奕を好む」と言われるほど博奕がさかんだった。聖謨の徹底的な取り締まりで博奕打ちは一掃されたが、その結果、景気が悪くなって遊郭などがさびれてしまい、施策の難しさを嘆く聖謨であった。

 罪を犯す者の多くが年少で、しかも再犯であることを知った聖謨は、保護観察の必要性を説き、少年たちが更正するよう力を尽くした。成人の犯罪者に対しても、拷問を禁止し、入牢者に特製の煮麺〔にゅうめん〕を施すなど、温かい思いやりで再起を促した。

 貧民の救済にも尽力した。はじめは私費を投じていたが、それではかえって幕府をないがしろにすることになるし、永続性がない(自分が奉行をやめたら打ち切りになる)と考えた聖謨は、救済基金を設立して、その利子で貧民の救済をはかることにした。

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