食の安全 常識・非常識

2011年5月26日

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松永和紀 (まつなが・わき)

科学ジャーナリスト

1963年生まれ。89年、京都大学大学院農学研究科修士課程修了(農芸化学専攻)。毎日新聞社に記者として10年間勤めたのち、フリーの科学ライターに。主な著書は『踊る「食の安全」 農薬から見える日本の食卓』(家の光協会)、『食の安全と環境 「気分のエコ」にはだまされない』(日本評論社)など。『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』(光文社新書)で科学ジャーナリスト賞2008受賞。2011年4月、科学的に適切な食情報を収集し提供する消費者団体「Food Communication Compass(略称FOOCOM=フーコム)を設立し、「FOOCOM.NET」を開設した。

一躍人気メニューとなったユッケ

 ヘルシー、カロリーが低そう、美容にいい……。若い女性の間では、ユッケがこんなイメージを持たれているそうです。若手女性編集者が教えてくれました。私は愕然。なぜなら20数年前、私が若い頃には「焼肉店へ行く女」というのはどうも、「下品」「本能剥き出し」というイメージが強かったように思うからです。だから、生の肉を食べるなんてとんでもなかった。

 そういえば、焼肉店にいる男女はもう、関係を持っているなんて“都市伝説”もありましたね。ちなみに、私も夫と結婚する前には一緒に足踏み入れず、でした。

 今の若い女性からは「どんな化石おばさんか」と笑われてしまうでしょう。それくらい、時代は一気に変わりました。今や、女性も焼肉店へ行って当たり前です。同時に、ユッケも人気メニューとして浸透しました。日本人は魚の生食に慣れ親しんできており、生食自体に抵抗がなかったせいもあるでしょう。ただし、科学的にみると、魚につく微生物と肉につく微生物はまったく違い、影響の程度も異なります。「魚は大丈夫だから肉も平気」とはなりません。

 肉を生で食べたいのなら、気をつけるべきことは数多くあった。覚悟すべきこともあった。そこを疎かにしてユッケがメニュー、食文化として定着し、そのツケが回ってきた。それが、今回の腸管出血性大腸菌食中毒事件であったように思えてなりません。「焼肉酒家えびす」のユッケが原因で4月に発生した食中毒は、5月24日現在、160人あまりが発症し、死者4人、入院中の重症者18人という、日本の食品史上まれな大事件となってしまったのです。

 では、生肉を食べる時に気をつけるべきこと、覚悟すべきこととは? 説明しましょう。

死にも至る腸管出血性大腸菌

 まず、生肉の食中毒の主な原因は、腸管出血性大腸菌(O157やO111、O26など)とカンピロバクターという2種類の菌。どちらも、魚にはいない菌です。今は、ユッケによる食中毒の原因となった腸管出血性大腸菌ばかりがクローズアップされていますが、カンピロバクターも要注意。それぞれの菌の性質をよく知ることが、深刻な食中毒を防ぐ大きなポイントになります。

 腸管出血性大腸菌は、ベロ毒素という非常に強い毒性物質を作り放出する性質を持つ大腸菌です。酸に強いため、口から入ると胃酸も難なくかいくぐり腸管に感染し、ベロ毒素を放出します。その結果、激しい腹痛や下痢を引き起こし、重症の場合には溶血性尿毒症症候群(HUS)や脳症(けいれんや意識障害)などの合併症も招き死にも至ります。子どもや体力のない高齢者が重症化する傾向はありますが、若者も発症します。

 この菌が恐ろしいのは、菌数がごくわずか、数個~数十個であっても体の中に取り込まれると発症する恐れがあるとみられていることです。ほかの食中毒菌の中には、数十万、数百万と食べなければ発症しないものもあり、こうした菌は原因食品の保存状態が悪く菌が増殖すると食中毒を引き起こすため、「新鮮なうちに食べる」ことが食中毒防止策として有効です。

 しかし、腸管出血性大腸菌はまったく異なり、食品が新鮮であっても菌が少しでも付いていれば大丈夫とは言えません。もちろん、鮮度が悪くなり菌が増殖したところで食べると、大量に菌が体内に入ることになりさらに危険度は増します。

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