サイバー空間の権力論

2018年9月14日

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塚越健司 (つかごし・けんじ)

拓殖大学非常勤講師

1984年生。専攻は情報社会学、社会哲学。著書に『ハクティビズムとは何か』(ソフトバンク新書)、共編著に『「統治」を創造する』(春秋社)、など。TBSラジオ『荒川強啓デイ・キャッチ!』火曜ニュースクリップ担当としてレギュラー出演中(http://www.tbsradio.jp/dc/)。

 『消滅世界』は、夫婦間のセックスは必要とされず、子供は人工授精によって生まれるのが一般的となった世界が舞台だ。夫婦でセックスをしようとすれば「近親相姦」として離婚の原因となり、結婚しても夫婦は互いに別の恋人や二次元のキャラクターと自由に恋愛し、セックスを行う。だが作品世界内ではセックスそのものが忌避されはじめており、外で恋愛しても、生身のセックスは好まれない。

 さらに作品世界で実験都市として認定された千葉では、男性も人工子宮を利用して妊娠、出産が目指されており、この実験都市では、住民すべてが生まれた子供の「お母さん」になる。詳しくは作品の一読を勧めるが、『消滅世界』における生殖やセックスの考えは、現実世界とは明らかに異なる。読者はこのあらすじを読んで、作品内の世界はユートピアかディストピアか、どちらを想像するだろうか。多くの読者は、ディストピアだと思うのではないか。

 だが筆者には多少なりともユートピアのように感じられる点にある。なぜか。

 この作品の面白さは、必ずしも作品内の舞台を否定的な視点だけで描かれていない点にある。主人公は失われつつあるセックスを実践するなど、社会の常識に対して違和感を持つが、主人公は変化以前にあった「正しい」世界を求めて抵抗するのではなく、変化する世界を受け入れながらも、その都度自らが感じる違和感に向き合うことをやめない、という意味で抵抗している。

 変化以前の世界を求めるのであれば、無意識に変化以前の世界が正しく正常であると判断することも多いが、そのような「正しい」世界はそもそも存在しない。

 本作の特徴は、社会の変化を過去への執着から敵視するのではなく、主人公の鋭敏な感覚が「今」感じている違和感に対する正直な姿を描く点にある。本作にユートピア性を見出し得るとすれば、それは主人公が技術の変化に振り回されるのではなく、どのような世界においても孤立奮闘し、それ故にどのような社会においても「正常ほど不気味な発狂はない」という確信を持ち得る点だ。主人公は技術そのものへの善悪を容易に判断せず、過去への執着や常識にもとらわれない。そのような主人公だからこそ、「正常こそ異常」という洞察が強い説得力を持つ。

変化する社会をどう生きるか

 技術は社会に大きな影響力を持つが故に、変わることで失うものと得るものを分析した上で、慎重な判断が求められる。しかし我々は、変化以前の社会への慣れにしばしば固執してしまう。また冷静な議論が必要な一方で、議論が追いつかないスピードで新たな技術が開発されている。

 生殖技術以外にも、豚の体内で人間の臓器を育て人間に移植するといった研究は、こちらも様々な制約があるものの実際に存在し研究が進められている。豚の臓器は人間のものと似ており、動物固有のウイルスを除去したり、移植に伴う拒絶反応を回避するためにも、上述の遺伝子編集技術「クリスパー」が用いられる。同時に、人間の臓器を体細胞から培養するという計画も存在し、こちらも前段階として豚で実験が行われている

 今後も世論を含めて慎重な議論が必要だが、仮にこうした技術が採用された時、我々は豚の臓器を移植した人間を「豚人間」と揶揄するのだろうか。そうだとするなら筆者は、過去や習慣にとらわれることで劣化する我々の知性にこそ抵抗したいと思う。
 

  
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