2024年4月26日(金)

古希バックパッカー海外放浪記

2019年1月13日

ゲストハウスはアルバニアの国民的英雄兄妹の生家

 ゲストハウスは旧家を改装したもので、オーナーのロレンツ氏一家が母屋に住んでいる。ロレンツ氏の父親がトゥトラーニ家から屋敷を買い取ったとのこと。

 ロレンツ氏は40代半ばのテノール歌手で、イタリアのオペラ劇場にも出演したこともある。CDを何枚も出しておりレパートリーはオペラからポップスまで幅広い。

 屋敷は文化財として残すため修復作業中であった。修復目的を解説した看板にはアルバニア語と英語で屋敷の歴史が書かれていた。この屋敷は19世紀初めに地元の名家トゥトラーニ家により建てられた。

 1912年のオスマントルコから独立宣言をしたときの署名者の一人が当時のトゥトラーニ家の当主であった。その息子は後に共和国政府の大蔵大臣を務めた。

 そして1939年からのイタリアのファシスト支配に抵抗したレジスタンス運動のリーダーであったアルバニアの国民的伝説的英雄であるクリスタックとマルガリータ兄妹の生家であるとの解説があった。

兄弟はどうしてパルチザン運動の英雄となったのだろうか

 兄のクリスタックは1919年、妹のマルガリータは1925年に生まれた。クリスタックは将来政治家となるべく大学で法律を専攻。マルガリータは首都にあるティラナの寄宿制女学校に入学。文学や詩に強い関心を抱いていたと言う。

 1939年にアルバニアがイタリアに併合されファシスト支配下に入るとマルガリータは女学校を止めてティラナから故郷のベラティに戻り、兄のクリスタックと共に反ファシズム運動に身を投じた。ふたりは抵抗運動(レジスタンス)のリーダーとなっていった。

 当時首都ティラナから離れた山あいの町ベラティはアルバニアの独立を求める反ファシスト運動の中心となりパルチザン活動が活発となっていった。マルガリータは1942年にアルバニア共産党に入党する。

 1942年10月28日に兄妹が中心となってベラティで数千人を動員する大規模な反ファシズムデモを実行した。当時のファシスト官憲は即日二人を指名手配。以降、兄妹は地下に潜伏して抵抗運動を続けた。

 しかし43年7月4日に二人は官憲に逮捕され、拷問の末、数日後に処刑された。クリスタック24歳、マルガリータ18歳の悲劇的な最期である。拷問の傷跡も生々しい処刑後のマルガリータの遺体の写真を密かに入手したパルチザンが、痛ましい写真を公開すると瞬く間に反ファシズム運動は全国に拡大していった。こうして兄妹は国民的英雄となった。

 戦後になると兄妹に関する本が多数出版された。ゲストハウスに置いてあったマルガリータの伝記本の表紙には内気そうに微笑むマルガリータの写真が載っていた。さらにネクタイを締めてウールのチョッキの上にジャケットを着たクリスタックと赤いセーターを着てはにかんでいるマルガリータが並んでいる肖像写真も心に残った。

⇒第2回につづく

  
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