2024年4月27日(土)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2013年5月14日

地区級市の設置の変遷

 そしてこの地区級市を増やすため、鄧小平時代(1979~92)には、地区級市の設置基準が緩やかに定められた。しかも、地区のままでは政府の編制(設置機関数、人員数)を圧縮するが、地区級市は圧縮しないとするなど、アメとムチの行政指導も行われた。この結果、地区級市は1978年の98市から93年には196市へと倍増した。あまりの急増ぶりに、江沢民時代前期(1993~97)にいったん設置基準が厳密化されたが、その後も1996年までに218市に増えた(下図参照)。

 さらに、江沢民時代後期(1998~2002)に入ると、朱鎔基首相が推進した行政機構改革が追い風となった。1999年にも、地区の撤廃と、地区級市の設置の方針が示されたことを受け、同年11月に地区から地区級市に移行する場合の設置基準が緩和されたため、2000年にも地区級市設置ブームが生じた。

 ややこしいのだが、中国にはこの地区レベルだけではなく、下位の「県」レベルにも市が置かれており、「県級市」と呼ばれている。定義上、地区級市には市が管轄する「区」が設置されるが、県級市は区をもたないという違いがある。前者が中都市、後者が小都市とイメージされたい。この県級市の急増が地区級市以上に顕著であったことは、下図が明示するとおりである。地区級市急増への対策と同様に、混乱を避けるため、「県を市に改める」こと(県改市)は2000年に禁止されたのであった。その後、胡錦濤・温家宝政権の下では新政策は打ち出されず、「市」の設置数もほぼ横ばいとなっている。

図:地区級市と県級市の設置数の推移(1978-2011)
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 かくして、都市化政策は、地方政府によって市制化へと換骨奪胎されてしまったのである。その背景には、行政区のレベルによって、地方政府の機構編制、権限は大きく異なり、勤務する幹部・職員全体のランクも、そして給与・福祉面での待遇も変わるという中国ならではの事情がある。関係者にとって地区から市、県から市への昇級に連なることにより大きな利益が得られるとみなされたことが、下からの市制化ブームをもたらしたものと考えられよう。


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