2024年5月9日(木)

Wedge2024年4月号特集(小さくても生きられる社会をつくる)

2024年3月29日

 もう一つ考えたいのは、災害の度に喧伝される「創造的復興」という言葉に込めるべき意味についてである。「創造的復興」は、阪神淡路大震災のころから使われるようになり、以後の国内の災害のなかで、〝魔法の言葉〟のように使われている。「“Build Back Better”(より良く再建する)」という意味で使われるが、その含意するものは広く、新たに空港を整備することも「創造」であるし、被災した住宅を改装して地域に開いていくのも「創造」である。人口減少時代には、身の丈に合った「創造」的復興を構想する必要があることは論をまたないだろう。

人口減少時代の復興
まち・ひと・しごとのバランス

 地方創生で掲げられた「まち・ひと・しごと」という言葉があるが、復興の対象は、まさに、人々の暮らし(=ひと)、人々の仕事(=しごと)、それらを支える空間(=まち)である。

 かつての人口増加時代は、急いで「まち」を復興していればよかった。とりあえず大急ぎで空間をつくれば、そこに「ひと」と「しごと」が溢れかえっていった。逆に「まち」が遅れると、勢いよく復興する「ひと」と「しごと」があっという間にスラムを作ってしまうという問題もあった。しかし、そのような生命力に溢れるスラムは、東日本大震災のあとですら生み出されなかった。人口減少時代においては何が先行されるべきだろうか。

 少しでも人口減少に向き合った経験がある人であれば間違いなく「しごと」と答えるだろう。たとえタダで住める住宅があっても、仕事がないところには誰も住まない。絶対安全な防潮堤に囲まれた土地があっても、仕事がなければ誰も住まない。大都市に若い人口が流出していくのは、地元に魅力的な仕事がないことも大きな要因だ。「しごと」があり、そこで稼ぎを得ることができるからこそ「ひと」の暮らしが成立するのであり、その二つが揃ったときに、はじめて「まち」が必要となる。

 しかし、これは平時の理屈─「まち」が十分にあり、脈々と続いた暮らしがある状態─であるので、その全てが物理的に破壊された今、仕事だけを優先しても復興は難しい。暮らし、仕事の足場となる「まち」を仮設住宅や仮設事業所でつくり、そこで暮らしと仕事の実感や手応えを手がかりにして、次の「まち」の姿を考えていくということが正解なのだろう。

 かつての関東大震災後の東京や、阪神淡路大震災後の神戸に見られたように、その土地が多くの人を惹きつける力を持っている場合は人口が流動する。そのため復興した「まち」の土地や建物はいずれ不動産市場で活発に取引されるが、人口減少社会ではそうならない。インフラへの投資は、土地の価値を上げるために行われるが、その価値は使用価値であり、交換価値ではない。都市が発展することはなく、今の人々が暮らしていけるだけの仕事がある状態が復興のゴールであり、筆者はそれを「非営利復興」と呼んでいる。

 東日本大震災の後、区画整理事業や集団移転事業などに膨大な国費が投じられ、全長400キロメートルに及ぶ防潮堤も整備されたが、被災地に残る人口に対して過大な整備であったという批判も多く見られる。能登半島地震でも同じことは起きるのだろうか。「ひと」「しごと」「まち」の三つのバランスをとりながら進める復興は、言うなれば三つのろくろを同時に回しながら木地を削り出すような困難な作業であるが、それぞれの自治体のここ10年間の議論や政策の蓄積には期待をしたい。

 人口減少を議論しなかった日はないだろうし、その結論は人口減少を食い止めるという緩和(ミティゲーション)政策ではなく、減少する人口にあわせて最適解を探る適応(アダプテーション)政策であったはずだ。


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