1月1日、能登半島を大規模な地震が襲い、今もなお被災者たちは避難所での生活を強いられている。住宅やインフラなどの被害額は石川、富山、新潟の3県で最大2.6兆円にもなるとみられ、これは熊本地震や新潟県中越地震に匹敵する規模である。政府は1月末に緊急に取り組むべき政策として「被災者の生活と生業(なりわい)支援のためのパッケージ」をまとめ、①生活再建、②中小事業者、農林漁業者、観光業など生業再建、③インフラの復旧などが盛り込まれている。
平成以降、私たちは大きな災害を経験してきた。それらを教訓として、頻繁に起きる災害に追い立てられるように、防災と復興に関わる法制度は常に更新され、さまざまな取り組みが蓄積されてきた。特に能登半島は2007年の大きな地震災害からの復興を遂げており、20年ごろから少なくない群発地震も起きていた。その経験と危機感を踏まえた備えは十分にあったのではないか、筆者はそう認識していたが、想定をはるかに超える震災であった。
とはいえ、これからの復興がこれまでの蓄積の延長線上に展開されていくのは間違いない。災害後は移転するかしないか、といった〝極論〟が展開されがちであるが、これまでに実現していること、していないことを踏まえつつ、次の二つの点に着目して考えていきたい。一つは「人口減少時代」という大きな波がどう復興に影響するのかということである。
能登半島地震が過去の震災と大きく異なることは本格的な人口減少時代に起きた災害であるということだ。日本の人口減少が始まったのは09年である。したがって、東日本大震災の時も人口は減少し始めていた。だが、11年時点では人口減少を前提とした法制度になっておらず、それ以前の法制度が適用された。そのため、人口減少下でどのような「まち」になり、そのまちをどうしていきたいのか、という議論がないまま、なし崩し的に復興が始まった。現場ではさまざまな調整が重ねられたものの、人口に対して過大な空間が整備されてしまったまちも多い。
しかし、その後10年の間に人口減少期のまちのありかたを検討する立地適正化計画、空き家の実態を把握する空家等対策計画、公共交通のありかたを考える地域公共交通計画といった計画制度が整い、能登半島の自治体でもそれぞれの取り組みが進められていた。こうした蓄積がある中で、どのような復興が展開されていくのだろうか。