人口減少局面において、人口予測は比較的容易であり、10年後、20年後、30年後にまちに残る人口は簡単に推計できる。能登半島は今の人口の半数程度になると考えられるが、その人々が豊かな暮らしを営み、仕事を続けていくことができるように、災害後に残った空間の中に、必要なだけの再整備をしていくということが正解なのだろう。それこそがこの災害の「創造的復興」であり、他の人口減少地域における災害復興の模範ともなるだろう。
わがまちの復興を
わがまちで考えるために
創造的復興のプレイヤーは誰なのか。意思決定者は市町村か、県か、あるいは国か──。能登半島の3市2町にはざっと数えるだけで90近い漁港、800近い農業集落があり、それぞれが固有の事情を抱えている。これらの全てを自治体の職員がカバーすることは現実的ではなく、震災後に新たな意思決定の仕組みをつくることは困難である。したがってこれらの集落がつくりだしてきた、自治の仕組み、ガバナンスの仕組みがそれを担うしかない。
弱体化したと言われているとはいえ、都市部に暮らす身からは想像がつかないほど、清掃や雪かきなどのさまざまな共同作業や祭礼を通じて組み上げられたこれらの集落の自治の仕組みは強い。そこでは、ジェンダーのバランスが極端に悪かったり、民主的とは言えない意思決定をしていることもあるだろう。また、災害によってその仕組みそのものが機能不全に陥ってしまった集落もあるかもしれない。
一方で、避難や復旧過程を通じて、新たな信頼関係が生まれた集落もあるはずだ。そしてこれからボランティアが活発化し、それぞれの集落に入り込んで自治の仕組みに刺激を与えていくだろう。このように、残った自治の仕組みと、災害後の変化をかき集めるようにして、創造的復興の意思が形成されていくのではないだろうか。
そして、自治体は、異なる方法、異なる速さで行われるそれぞれの創造的復興に寄り添うことが必要である。これから被災地には「まち」に対する「解体」「基盤整備」「建物再建」の3種の政策が降り注ぐ。解体を急ぐと暫定的に使える空き家を壊してしまうことになるし、基盤整備を急ぎすぎると建物再建意向とずれてしまう。東日本大震災では、補助金の申請期限に追い立てられるようにして、大急ぎで意思決定がなされたまちが多かったが、結果として真っ先に意思決定を迫られた防潮堤は、いまだ建設中となっている。これからは決定から実行、完了までの「速さ」が異なることを前提に復興のプロセスが組み立てられる必要がある。
創造的復興は、その土地に住む人々が考えてこそ「創造」になる。全都道府県で人口が減少し始めた今、能登で起きていることは他人事ではない。