この熱き人々

2016年1月20日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 「中高生時代の校長先生が、『神は乗り越えられない試練は与えない』とおっしゃってくださって、受け入れることができました。人生って、まさかの時に望んでないことがいきなり降りかかるものなんですね」

 使い過ぎた右手の動きを取り戻すことは、そのままギターを取り戻すことにつながったが、今回の病は、自分の努力で機能を戻すというものとは違う。

 「これで人生すべて終わっちゃうんじゃないかという怖さがありました。2度の右手の麻痺を経験していなかったら、もっと焦ったり不安になったりしたかもしれませんね。デビューしてから20年の日々を振り返ってみて、本当にすべての仕事が楽しくできていたのだと心から感謝できた時に、ここは体を休める時なのだと気持ちを割り切ることができました。体なくしては何もできないと肝に銘じました。小さい時からこの世界に入って、常に成長していくこと、止まらずに走り続けることが大事だと思って生きてきたけれど、立ち止まることも大事なんじゃないかって思うことにしたんです」

ギターと出会い向き合う

 過去の記事を読むと、村治が初めてギターを弾いたのは2歳とも3歳とも書かれている。村治が生まれる前から父親がギター教室を開いていたので、家中に常にギターの音が流れ、母親の胎内ですでにその音色とともに育っていたともいえる。

 「2歳の時には父が弦を押さえて私が片手で弾き、3歳のころには子ども用ギターで『蝶々』とか『チューリップ』を両手で弾けるようになったということです。6歳で『大人になったらギタリストになる』と言ったようですが、なるというより、このままずっとギターを弾く毎日が続くんだろうと思っていました」

3歳のころ、ドイツ文化会館ホールで父と演奏(1981年)

 10歳で、パリ留学から帰国した気鋭のギタリスト福田進一に師事したのは、演奏家を目指すために父が用意した道。その道を父の期待を上回る勢いで走り続ける娘は、11歳でジュニア・ギターコンテスト最優秀賞、学生ギターコンクール優勝などなど国内のコンクールを総ナメにして、天才少女と呼ばれた。最初のアルバム「エスプレッシーヴォ」で鮮烈なデビューを果たしたのは15歳。

 「父は、自分がギターを始めたのが遅くからだったので、娘や息子に自分ができなかったことをさせたかったのかもしれません。父はギターの前には卓球をやっていて、あと1歩で全国大会に行けたそうです。そのまま続けていたら、私は卓球少女になっていたんでしょうね」

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