ひととき特集

2009年10月22日

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嵐山光三郎 (あらしやま・こうざぶろう)

1942年静岡県生まれ。作家、エッセイスト。雑誌編集者を経て、執筆活動に入る。88年『素人包丁記』により講談社エッセイ賞を、2000年『芭蕉の誘惑』(後に『芭蕉紀行』と改題。新潮社)によりJTB紀行文学大賞をを受賞。06年、『悪党芭蕉』(新潮社)により泉鏡花文学賞と読売文学賞受賞。近著『旅するノラ猫』(筑摩書房)、『下り坂繁昌記』(新講社)など著書多数。旅と温泉を愛し、1年のうち8ヵ月は国内外を旅行する。

 私は『下り坂繁昌記』という本を書きあげたところで、下り坂の心地よさを味わっている。人生の登り坂は苦しくて周囲の風光は見えないが、50歳あたりから下り坂となり、それが快感である。いかにして人生の下り坂を愉しむかが、後半生を色っぽく過ごす要諦であり、定年を迎えてから「さて、第2の人生をがんばろう」なんて考えるのでは遅すぎる。ひたすら下っていく力をつければいいのだ。

国東町の路傍で見かけた夫婦を刻む庚申塔。国東半島には、現在もこうした石塔が数多く残されている

と、まあ石段を下りながら考えた。

 石段を降りると野仏の里に出る。道沿いに夫婦の庚申(こうしん)さんや水神がある。山深いところに天台宗の寺があり、里には浄土宗や禅宗の寺がある。

 海へ向かう道沿いのタンボのまん中に石塔が立ち並んでいたので立ちよった。タンボ沿いの細道を歩いていくとの看板があった。大木の下に五輪塔(石造卒塔婆)が200基並べられている。北浦辺衆(きたうらべしゅう・鎌倉・室町時代に鎮西探題(ちんせいたんだい)として派遣された一族)の墓地群である。墓場であるのに妖気がないのは、この地の法力に浄化されてしまったためと思われる。

 九十九(つづら)折りの山道を進むと、右も左も岩ばかりとなり、くねくね進んで、赤根の里に着いた。国見温泉「あかねの郷」で「くにさき山頭火の会」会長の園部正次さんと会った。宿の前に山頭火の句碑「いたゞきのしぐれにたゝずむ」が建っている。

 園部氏が「いたゞき」とは地蔵峠のことだろう、と説明してくれた。山頭火が九州方面を行乞行脚したのは11回に及び、大分県下は5回だという。昭和4年11月に中津の俳友松垣昧々(まつがきまいまい)宅に泊って歓待を受け、国東半島へ入った。11月23日に宇佐神宮と第四番札所・大楽寺を参拝し、11月26日に松垣昧々宛てに、

ぬれてしぐれのすゝきわけのぼる

いたゞきのしぐれにたゝずむ

こんな山水でまいくがまうてゐる

 の3句を記した手紙を送った。

 国見温泉にある「湯の里・渓泉」の玄関前に「ぬれてしぐれの…」の句碑があり、いまは廃寺となっている阿弥陀寺(浄土宗)の前に「こんな山水で…」の句碑が建っている。「こんな山水で」の句は、俳友昧々への挨拶句である。山頭火が泊ったのは阿弥陀寺近くの木賃宿であった。

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