2024年12月16日(月)

ひととき特集

2009年10月22日

 国東港から県道を西へ進むと、強い霊気を感じた。全身を包みこむ磁力にひきずられていく。岩山の奥になだらかな山があり、その奥にまた岩山がある。山、山、山、山、で山が将棋倒しになりそうだ。

両子寺の阿吽仁王像のうち、向かって右に立つ阿形像。左手に金剛杵(こんごうしょ)を肩上に構え、右手は腰の位置で拳(こぶし)にしていて、その容相は猛々しい
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 音がしない。

 岩肌に樹々がへばりつき、岩の窪みが表情を変える。夏の光を浴びて、山の樹がモリモリと湧きあがり、指1本までが暑い。竹林がわずかに揺れて、耳をすますと鳥の声が聞こえた。

 レンタカー(軽自動車)を運転するのは、写真家の船尾修さんで、平成13(2001)年に東京から移り住んでいる。国東を撮影する写真修行僧といった風貌だが、年のうち半分はアジア、アフリカの辺境の地を流浪している。

 谷間を縫って進むと行入(ぎょうにゅう)ダム湖の奥に「千の岩」がそびえていた。両子山の中腹に両子寺があった。ここは鎌倉時代は六郷満山の寺務を執り行う中心的寺院であった。

 本来なら仁王門から石段を登り、山門を経てさらに登って護摩堂に辿りつくのだが、軽自動車で裏道を廻って、いきなり護摩堂まで行ってしまった。護摩堂は山岳修行の根本道場で不動尊はじめ諸仏を祀っている。天台宗延暦寺派の寺である。

 境内には赤い前垂れをかけたお地蔵様が並んでいるが、顔がない。よく見ると五輪塔で、石が磨耗しているため、地蔵に見たてているのだった。

 空気が青い。

両子寺の奥の院へ続く参道手前に湧く清水をいただく筆者。あたりは、昼なお暗く、霊気に満ちていた。ところで山頭火はまたの名を「水飲み俳人」と呼ばれ、水ききの達人でもあった

 時雨紅葉(京紅葉)のトンネルがあり、木漏れ日が濃い陰影を落としている。山道を通って奥の院へ向かうと石造鳥居があり、神仏習合の寺であることがわかる。

 地蔵池の前にダボダボと湧き水が出ていて、柄杓(ひしゃく)ですくって飲んだ。冷えていて、すーっと喉にしみていった。鳥居には六所権現と両所大権現の文字が彫られている。力持ちの僧が1枚の大石をひきおろしたという鬼橋を渡って、参道を下った。参詣する順序が逆になってしまった。


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