整理すると、仏教伝来が6世紀半ばで、聖徳太子→(その60年後に)役小角→(その130年後)最澄という順になる。
天台宗が日本に伝来する以前からこの地は山岳修験の道場であった。天台宗が伝来すると、山岳修験は天台密教と習合した、ということになる。
文殊仙寺でも石造仁王に迎えられた。肩の筋肉が張り、肋骨が浮き出た格闘家の体格で、うっかり近よると蹴り飛ばされそうだ。
300段の石段は角がすりきれて丸くなっている。参道は暗く、奇岩怪石には、ひんやりと霊気が漂っている。石段をひとつ登るたび修験の宇宙へひきこまれていく。
森閑として透明な空気のなか、山門をくぐると岩をくりぬいた奥の院に出た。手で触るとざらりとした火山岩が露出している。
巨大な一枚岩の窪みに奥の院の建物がはめこまれているのだった。建物(本殿文殊堂)と岩が一体化している。よくぞ、こんな断崖絶壁に寺院を造ったものだ、と息をのんだ。
閉ざされている岩盤からは清水が湧きだしている。「知恵の水」と呼ばれる聖水で、年に1度の御開帳のときに飲むことが許される。左の岩窟内に役小角の像が彫られていた。役小角は岩座(いわくら)に腰を下ろし、下駄を履いている様子が私に似ている。右手に錫杖、左手に経典を持ち、頭に宝冠をのせ、いまにも飛びたちそうだ。子分の六鬼をひきつれている。岩の斜面にはイワタバコとイワチシャの茂みが生え、茂みから十六羅漢が顔をのぞかせている。
日本古来の自然神と、渡来した天台密教の融合であって、見えざる引力が空気の粒子にまでしみこんでいる。
本尊の文殊菩薩は12年に1度しか公開されない。本堂で、秋吉文鴨(あきよしぶんおう)副住職と会って、おちょこで知恵の水をひとくち飲ませていただいた。たちまち頭がよくなった気がする。「文殊の知恵」がついた。
本堂の対岸に、駱駝(らくだ)のこぶの形をした仏具岩が見えた。中国仏教の聖地、峨眉山(がびざん)に似ている。岩のところどころに穴があき、修験の道であったことがわかる。本堂のガラス窓に黒い揚羽蝶(あげはちょう)がぶつかって、音をたてた。雲がなければ、ここより瀬戸内海の島が見えるという。
山を降りると、体内に「気」が満ちているのを感じた。命が入れ変えられた。全身がリニューアルされて、中身が新品になった。神仏は、この地では感じるのである。頭で考えるのではなく、全身で感じて、それを吸いとるのだ。