障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2016年5月7日

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 「事故直後はまだ少しだけ体が動いたので足を触ってみたのですが、まったく感覚がないし、自分の体じゃないみたいな感じがしたので、これはまずい、いま下手に動いたら死んでしまうかも……。そう思ったので助けてくれようとしている友人に『救急車が来るまで動かさないでくれ』って自分で言いました。そこまでの記憶ははっきりとしているのですが、その後は悪夢をずっと見ていた感じがしています」

0点からスタートしたスポーツとのゆる~い関係

ウィルチェアーラグビー、山口貴久さん

 ウィルチェアーラグビー、山口貴久(やまぐち たかひさ)神奈川県横須賀市生まれ。

 「あまり元気はつらつとした子ではなかったですね」と山口は幼い頃の自分を振り返る。現在の風貌からも想像し得るように、もともと物静かなタイプだったようだ。特にスポーツが得意というわけでもなかったが、小学1年生からサッカーを始めて中学3年までの9年間はグラウンドでボールを追い掛けた。

 けれど小学生の頃は出来立てのチームで指導者もなく、子どもたちの父親がコーチとなって遊びの延長のように行っていた。
楽しかったが試合は連戦連敗。「毎試合10点くらい取られて、こちらは0点みたいな感じで……」良いところ無しだったと山口は笑う。

 「小学生の頃は走るのも遅かったし、あまり運動が得意じゃなかったんです。小学3年生のときにスケボーで転んで腕を複雑骨折したこともありました。入院中は痛くて辛くて泣いてばかり。あまりにもひどい怪我だったようで元には戻らないと言われましたが、1年以上リハビリを続けてようやく戻った頃から、体を鍛えようかなと思い始めたのです」

 山口とスポーツは、こうしたゆる~い関係からスタートした。だが、鈍いと自覚していた本人が驚くような変化が小学5年生の頃にあったと言う。

 「背が急に伸びはじめて走るのも速くなったんです。リレーの選手に選ばれたりして自分でも驚きました。覚醒したような瞬間があったんですよ。でも、自分はやっぱり運動よりも算数の方が得意で、そのまま中学に行っても数学が得意科目になっていきました。その流れで今でも数字を扱う仕事をしています」

バイクと海と音楽に目覚めた高校時代

 ゆるい関係だったとはいえ、サッカー少年だった山口は高校進学と同時にスポーツから離れた生活を送るようになった。音楽やバイクに目覚め、汗にまみれた部活少年とは異なる道を選んだ。

 「僕が通っていた横須賀の逗子高校は近くにコンビニもなく、いろいろな動物が出没するようなすごい田舎というか山の中にある学校でした(笑)。バイクに乗るといっても不良じゃなくて、いたって真面目な学生でした。周りは海だらけなので天気の良い休日は友達と海に行って綺麗な夕日を見たり、県内には他にもたくさん行くところがありますからね。遊ぶことを覚え始めた高校時代は、その年代の子らしく遊んでいたって感じですかね。スポーツから離れていたので、あまり話せるようなエピソードがないんですよ」

 高校を卒業した山口はホテル関係の専門学校に進んだ。某有名ホテルに実習に行ったこともあったが、思い描いていた世界とは違ったようだ。進学に際してあまり深い考えがあったわけではなかったことに気が付いた。

 進学して半年が過ぎた頃になって、父親が勤め先を辞めて独立するという話を聞いた。山口は迷わず父親の会社で仕事がしたいと思った。

 「父から仕事を手伝えと言われたわけではないんです。ただ、独立すると聞いたので僕も兄といっしょに父の役に立ちたいと思って専門学校を辞めました。まずはパソコンのスキルを磨いて、それから父の仕事を手伝いたいと思っていたのですが、その矢先のことでした……」

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