したたか者の流儀

2016年5月19日

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パスカル・ヤン (Pascal Yan)

著述家

著述家。ルーヴァン・カトリック大学大学院中退(ベルギー)。証券マンとして25年間、欧州を中心に海外で過ごす。現在の職業は都内大学教授。

 

 サミットに大物政治家はやって来るか。ノルマンディー上陸の日はやって来るが……。

オマハ・ビーチでやっちまって

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 盲目の黒人シンガー レイ・チャールズが、歌手としての成功の糸口を求めて南部を離れて北に向かったとき、難儀するたびに、自分の目をさして“オマハ・ビーチでやっちまって”という方便を使うと、魔法の呪文のように、援助の手が差し伸べられた。バスターミナルでの乗り換え風景は映画『Ray』でも泣かせる場面だ。

 オマハ・ビーチとはノルマンディー上陸作戦で最も激戦となった場所。英兵、米兵、カナダ兵、オーストラリア兵、ニュージーランド兵など15万人が、早朝大挙してノルマンディー海岸を目指した、いわゆる史上最大の作戦の一部ということになる。

 最悪の激戦地となったのが、米軍3万人以上が上陸したいわゆるオマハ・ビーチなのだ。連合軍の総大将アイゼンハワーは、ノルウェー上陸や泳いでも渡れるドーバー海峡上陸をほのめかし、ヒトラーもドーバーを信じて疑わずドーバーシフトになっていた。

 敢えて言えば、ノルマンディー海岸は手薄であったのは間違いない。偶然ドイツの大部隊がノルマンディー海岸の中でもオマハ・ビーチ裏で演習中であったそうだ。アメリカ兵3万余が担当した地域であるが、全員が戦死した部隊もでるなど、オマハだけで1日で数千の死傷者がでた。

 だから北部エスタブリシュメントにとっても、オマハで失明したという黒人青年をむげにはできない。レイ・チャールズは子供の時失明しており、戦争にはいっていないのだが。

 あの日がまたやって来る。1944年6月6日のことだ。後から考えれば簡単なことでも、その時には苦渋の選択ということが多い。反対もあったが、雨と嵐の束の間のチャンスを利用したのが、アイゼンハワーという天才の判断となる。しかし、彼が考えたシナリオ通りに進んだ作戦は一つしかないようだ。

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