2024年4月27日(土)

個人美術館ものがたり

2010年1月18日

「ランプ」1901年 水彩

 そのランプスタンドが、数冊の本を積み重ねた上に、無造作に置かれている。水彩の筆の楽なタッチで描かれているのだけど、描かれた物の質感が適確で、感嘆する。下に敷かれた数冊の本は、和綴じのようにも見えるが、柔らかい紙を重ねて綴じた断面の、その質感が見事だ。

 騙し絵的な西洋の絵の技術的なそっくりとは遠い、この場合は共感のようなものだろう。そうだ、綴じた紙の断面ってこうなんだよ、というような。

 その前に、ぼくの目がまず吸い寄せられたのはこの静物画の背景だった。何が描かれているというわけではなく、漠然とした色班〔いろむら〕があるだけだが、その状態が背景としての存在感を保ち、じつに堂々としている。そのただの背景とは違うわずかなところに、やはり才能を感じてしまう。

 この水彩画の「ランプ」は、終戦後、大阪の旅館に飾られていたのを、河村龍夫氏が気に入って分けてもらったものだそうだ。実業家であった河村氏が青木繁に引かれたのは、やはりその才能と生い立ちだ。青木は福岡の久留米の出身で、上京したあと、最期はまた福岡に戻り、唐津での「夕焼けの海」という絶筆を残して短い生涯を終える。その絵が、ここには展示されている。夕焼けで空も海も赤く、帆船が1隻、遠くに2隻、浮かんでいる。絶筆とは思えないような、きっちりとした描写なのが意外だった。

 青木繁の絵を見るときは、いつも才能というものを考えさせられる。才能というものはどのようにしてその人に宿り、どのようにしてその人からにじみ出てくるのか。典型的なこの「夭折」の画家を見ていると、どうしてもそれを考える。美校時代の友人たち、熊谷守一などの話によると、かなり傍若無人の性格もあったようだ。貧しかったことにもよるが、限られた人生を予知した才能が、一気にその限界内で露出しようとしたのだろうか。

河村龍夫氏の銅像。
青木繁に深く魅せられた龍夫氏は、佐賀から福岡に至る最晩年の足跡を尋ね求めた文章を昭和38年発行の郷土誌に寄せているという

 美術館にはほかにも東洋美術展示室、西洋美術展示室とあって、小品の中には岸田劉生や黒田清輝、熊谷守一、安井曽太郎など、目になじんだ筆致の絵が並ぶ。日本の近代絵画を模索した画家たちだ。

 コレクションの大半は、実業家であった河村龍夫氏の蒐集したものだ。龍夫氏は唐津に生れて関西に出たが、先祖はこの唐津の御典医の家柄だという。龍夫氏は関西で引退後も、唐津の厚生施設に寄付したり、郷里への思いは強かった。その没後、コレクションが残され、ご子息の河村晴生氏が私財を投じて美術館を建設した。晴生氏の方はもう関西の生れ育ちであったが、亡父の思いにそって場所を唐津に定め、佐賀県認定第1号の財団法人となった。唐津が青木繁の絶筆の場所であったことも大きい。

 美術館にはもう一つ、エマーユのコレクションがある。エマーユとは日本の七宝みたいなもので、細密なエナメル画にガラス質の釉薬をかけたもの。聖母マリアや貴族の肖像画など、近代以前にフランスで制作されたものだ。


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