障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2018年3月19日

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 「自分の障害についてあまり重く受け止めることはなく、ふつうに立っている人よりも車いすでカッコよくいればいいじゃんという感じで考えています」

 「日本代表というのは関係なく、バスケをしているからカッコよくありたいと思っています」

 車いすバスケットボールの若きリーダーの言葉は、心地よく熱く自信に満ち溢れている。強がりもなければ嫌みもない。

古澤拓也選手(提供:フォトサービスワン)

野球ができなくなることが辛かった

 車いすバスケットボール日本代表 / U23日本代表キャプテン 古澤拓也(ふるさわ  たくや)。

 幼いころから二分脊椎症のことは理解していた。定期的な検査を受ける中で、小学生になっても痛みもなく症状が出ていないのが奇跡のようだと言われていた。野球少年だった小学生時代は、放課後、毎日のように友達と野球に夢中になっていた。

 そんな野球漬けの生活が一変したのは小学6年生のときである。二分脊椎症の合併症で脊髄空洞症を併発したため、進行を止める手術をしなければならなくなった。その手術を受ければ車いすの生活を余儀なくされる。しかし、それ以外の選択肢はなかった。

 「このままにしておくと麻痺が出てしまうということで手術をすることになったのですが、車いすの生活がどういうものかよりも、当時は野球が一番で生活のすべてだったので、その野球ができなくなってしまうことがとても辛かったです」

 車いすでもできるスポーツということで母親に勧められ車いすテニスの体験会に参加した。ラケットで打つ感覚が野球に似ていてすぐに車いすテニスに魅力を感じたものの、当時は同年代の選手が少なく大人たちの中に溶け込めない雰囲気があった。その頃の同年代といえば時々大会会場で会った上地結衣さん(2016リオ・パラリンピック銅メダリスト  http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3202)くらいで、他の同世代のプレイヤーとの接点はあまりなかった。

 その後、神奈川県の障害者スポーツ施設「横浜ラポール」で行われた車いすバスケットボールの体験会でバスケの魅力を知り、すぐに横浜ラポールで活動するチームに加入した。

 タイヤの焦げたような匂いや、車いすの激しい動きと接触する金属音が印象的だった。また、競技人口が多く同世代がいたことがなにより嬉しかった。

 「僕らの年代からジュニア育成強化が始まったので、同じ年代の選手がとても多く、その点は恵まれています。現在U23で一緒に戦っているメンバーは同じジュニア育成合宿から一緒に頑張ってきた仲間で、競技を離れても人と人の繋がりがあるし、野球のようなチームスポーツでもあるのでバスケにはまっていきました」

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