チャイナ・ウォッチャーの視点

2018年3月22日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

 昨秋の第19回中国共産党全国大会、そして今春の人民代表大会を経て習近平政権の「一強体制」はいよいよ鮮明になった。

2018年3月20日、中国全国人民代表大会で演説する習近平国家主席(写真:新華社/アフロ)

 思えば2012年の第1期政権発足前後、我が国では彼を「共産中国最弱の帝王」と酷評する声すら聞かれたものだ。だが政権1期目の5年間を経た後、2期10年という中国政府トップの人事慣例を破り、憲法すら改め、いまや2022年以降の政権3期目も視野に入れた布陣を着々と築いていると伝えられる。

「最弱の帝王」はいかにして一強体制を築いたか

 1976年の毛沢東の死は、当時は「人類史上空前の魂の革命」と神聖視され、いまや「大後退の10年」と総括される始末の文化大革命(1966年~1976年)の終焉をも意味した。その時からの40余年の歩みを思い起こすと、中国の変化は凄まじいばかりだ。毛沢東の路線を大逆転させ、鄧小平が対外開放に踏み切ったことで中国は「世界の工場」へと突き進み、やがて「世界最大の消費市場」を経て、世界経済の牽引車からグローバル経済と自由貿易体制の守護者へと驚天動地の大転換――毛沢東式社会主義を脱し、鄧小平式社会主義市場経済を経て習近平一強体制下の市場経済――を遂げた。

 異例と言えば異例な事態の連続だが、「中国の特色ある」との数文字を頭に被せれば一切の矛盾は解決してしまうから、摩訶不思議としかいいようはない。

 この間、習近平主席の前々任者の江沢民も、前任者の胡錦濤も共に鄧小平路線を忠実に歩んだ。国内的には格差や環境問題を抱えながらもひたすらGDP膨張式の経済成長を求め、対外的には諸外国との摩擦を起こしながらも経済力をテコに「双贏(ウィン・ウィン)関係」を前面に押し出して強引なまでに海外展開を進めてきた。

 以上の点では習近平主席も大差はないだろうが、当初は「共産中国最弱の帝王」だったはずの習近平主席が江沢民、胡錦濤を飛び越えて毛沢東、鄧小平の域に達し一強体制を築くことが可能となった背景には何があるのか。そこには、これまでメディアが伝えて来た共産党最上層における権力闘争を超えた要因があるように思える。

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