WEDGE REPORT

2018年4月19日

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来月、東ティモールで総選挙が行われる。2002年に東ティモールを独立に導き、2015年まで首相を務めたシャナナ・グスマン氏。一方、南アフリカを解放に導いたネルソン・マンデラ元大統領。この二人の類い稀な指導者に共通するのは、国民に「赦しと和解」を求めたことである。だが、そのアプローチの方法は異なるものであったと筆者は指摘する。今もなお紛争の絶えないこの世界で、二人の巨人から私たちが学ぶべきものは何だろうか。

東ティモールを独立に導いたシャナナ・グスマン元首相(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

マンデラとの出会い

 筆者がマンデラに会ったのは2003年頃である。

 ヨハネスブルクのある講演会の会場にマンデラはやや遅れてやってきた。満場の拍手に迎えられ、すでにかなりの高齢に達していたマンデラは、足が衰え、両脇を介添えの者に支えられてゆっくりと登壇した。参加者の目が一斉にマンデラに注がれる中、マンデラは静かに語り始めた。

 あの独特な口にこもった発音。ややモゴモゴと、しかし、年齢を感じさせない強い信念がこもった語り口に、会場の誰もが我を忘れて聞き入った。話が終わり、檀上から降りてきたマンデラの方に歩み寄った筆者は、二言三言言葉を交わし、その手を握った。それは年齢を感じさせない温かでふくよかな手だったと記憶している。

 マンデラの思想と人生の軌跡はその著書『自由への長い道』に詳しい。その記述は感動に満ち、筆者は南アフリカのホテルの一室で、むさぼるようにして一気に読了したのを覚えている。その獄中の生活のすさまじさが頭から離れず、しばらくたって仕事の合間を見つけ、マンデラが囚われていたロベン島を訪れ、更に日を改め、マンデラの生誕地から幼少期を過ごしたクヌ地方を訪ね歩いた。

凄惨を極めたマンデラの獄中生活

 ロベン島は監獄の島である。ケープタウンの沖合にひっそりとたたずむ、この暗黒の歴史に彩られた孤島は、反アパルトヘイトの闘士を長年にわたり拘束した。マンデラはここで25年獄中に日々を送った。その前、マンデラは他の牢にも入れられており、合わせれば27年に及ぶ。その獄中生活は凄惨を極めた。南極に近いロベン島の寒い冬を、ごわごわになった堅い毛布にくるまり、わずかに感じられる外部の空気と、打ちつける荒波の音を聞きながら眠りについた日々はいかばかりだったかと思わずにいられない。

 マンデラが捕らえられていたコンクリートの小部屋には隅に便器がしつらえられている。部屋には他に何もない。これほどまでに重厚な扉が必要か、と思うほどに分厚い扉が閉められると、向き合う壁の白さばかりが目につく。広さ2畳程度の小さな部屋であり、圧迫感と空虚感、そしていつ解放されるか分からない、あるいは解放されることがないかもしれないとの不安と絶望のみが支配する小さな空間だ。そこで過ごすマンデラの胸中を思いやればこちらが押しつぶされそうになる。

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