あの負けがあってこそ

2018年8月21日

»著者プロフィール

 本コラムはそれぞれのアスリートに競技人生最大の敗北(挫折や怪我も含む)を尋ね、その負けから何を学び、何を改善し、どのように現在に至っているのか、その心のあり方に焦点を当てるという企画である。

 しかし、当然のことながら競技者としてのターニングポイントが、いつもいつも敗北や挫折ばかりとは限らない。今回取り上げる平野修也(ひらのなおや)はその逆ともいえる順境の中、自身の可能性に挑戦しながら階段を駆け上がっていったタイプのアスリートである。

平野修也さん(撮影:筆者、以下同)

 東京消防庁時代は水難救助隊員として主に河川における事故の救助を担当し、救助技術の安全性、確実性、迅速さを競う「全国消防救助技術大会」では3度の日本一に輝いた実績を持っている。

 現在は帝京大学水泳部テクニカルコーチを務める傍ら、現役の競泳選手として大会に出場し、ライフセービングとフィンスイミングでは、日本代表として国際舞台で活躍しているマルチアスリートである。

 平野は水のアスリートとマルチアスリートを掛け合わせ、自らを“アクアアスリート”として、活躍の場を広げている。

再び始めた水泳、今度は自分の意志で

 平野は三兄弟の末っ子で物心ついたときから兄たちとスイミングクラブに通い、水のある生活が当たり前のようにして育った。しかし、中学に入学した頃の平野は145cmしかなく、周囲の子たちに比べひときわ小柄だったことから人知れず不満を抱えていた。

 「水泳は不公平な競技ですよ。背の高い選手は飛び込んだだけで僕よりもゴールに近くなるんです。ターンするときも手前から回れるし、すべてにおいて不公平だと思っていました。始めたのも自分の意志ではなかったし、当時はベストタイムを出そうなんて考えてもいませんでした」

 とはいえリレー種目でジュニアオリンピックに出場した実績を持っている。

 選手としての可能性に自分では気づいていなかったのだ。

 その後、中学1年の夏休みにスイミングクラブを辞め、バレーボール部に入部。以降、中学卒業までバレーボールを続けたが、チームスポーツで結果を出す難しさを知ることになる。さらに、平野にはもうひとつの転機があった。

 「中学3年の夏の水泳の授業でタイムを計ったところ、以前よりもかなり速くなっていました。中学時代に25cmも伸びたのでワンストロークが大きくなってパフォーマンスが上がっていたんです。それで高校生になったらもう一度水泳がやりたいと親に伝えました」

 今度は自分の意志で水泳を始めるのだから、しっかり結果をださなければ両親に申し訳ない。また、自分自身が納得できないと目標にインターハイ出場を掲げ、さらにスポーツ推薦で大学へ進学することを3年後の目標に設定した。

関連記事

新着記事

»もっと見る