障害者アスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2018年10月9日

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 大日方邦子(おびなたくにこ)はアルペンスキー座位(チェアスキー)の日本代表として、1998年自国開催となった長野パラリンピックで冬季大会では日本人初の金メダリストに輝き、バンクーバー大会(2010年)まで5大会連続出場を果たし、金メダル2個を含む10個のメダルを獲得した。

 現在は(株)電通パブリックリレーションズ オリンピック・パラリンピック部でシニアコンサルタントを務める傍ら、(公財)日本障害者スポーツ協会理事や一般社団法人日本パラリンピアンズ協会の副会長等の要職を務め、平昌パラリンピックでは日本選手団の団長として選手たちを支えた。

 アスリートとしての立場から広く社会と障害者スポーツを結ぶ活動に積極的に取り組んでいる。

大日方邦子さん(撮影:筆者、以下同)

中学時代のいじめで人間不信に

 「事故に遭ったのは3歳のときでした。幸いにその記憶は残っていません。私にとって義足を付けて歩くことは私の生き方そのもので、それが自然なのです」

 幼い頃から活発なうえに負けず嫌い。怖いもの知らずで、何事にも挑戦することが好きだった。水泳や鉄棒などの運動に限らず、遊びや日常生活に起きる様々なハードルに対しても、いかに工夫すればできるようになるかを考え、挑戦することを楽しんでいた。

 「できなかったことが、できるようになるって嬉しいですよね。乗り越える喜び、小さな喜びを積み重ねて子ども時代を過ごしました。そのようなかたちで両親が導いてくれたのかなと思っています」

 だが、中学生になり環境が一変した。

 中学校は義足で歩いて通うには遠距離だったため母親に車で送ってもらい、制服はスカートではなく、同じ生地を使ったズボンを履いて登校した。

 それを快く思わないグループがあったのだ。

 「周りと違う、人と違うことを嫌がる人が多い環境だったのかなと思います。その人たちには私が異質な存在に見えたのでしょう。でも、それは私の個性であり、私に変えられるものでもありません。開き直りかもしれませんが、堂々としているしかなかったのです。それがまた可愛くなかったのかもしれません」

 いくら普通に接したいと思っても反感を買い仲間外れにされ、ときに露骨ないやがらせを受けることもあった。

 大日方は人間不信に陥り、友達に心を許すことができなくなった。

 しかし、受け入れられない以上、これが個性だからと開き直って恐れずに行動した。校内の委員会活動にも参加し、授業中も積極的に発言した。

 「今思えばですが、障害者イコール弱い存在で、もっとおとなしくしていないさいということだったのかもしれません。でも、私は明るかったし、何事にも積極的だったし、周りが持っている障害者のイメージとは違っていたのでしょうね」

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