Wedge REPORT

2019年8月23日

»著者プロフィール
閉じる

黒井克行 (くろい・かつゆき)

ノンフィクション作家

1958年北海道生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家。人物ドキュメントやスポーツ全般にわたって執筆活動を展開。主な著書に『テンカウント』(幻冬舎文庫)、『男の引き際』(新潮新書)、『高橋尚子 夢はきっとかなう』(学研)、『日野原新老人野球団』(幻冬舎)、『指導者の条件』(新潮新書)、『ふるさと創生―北海道上士幌町のキセキ』(木楽舎)他多数。

 「義足になってもスポーツをやめるつもりは全くありませんでした」

 来年に控える東京パラリンピックで陸上100メートル、200メートルでメダルを狙う佐藤圭太選手(28歳、トヨタ自動車)。右足に義足を嵌め、陸上に取り組んで12年目に入ったが、この間、ロンドン、リオと二大会続けてパラリンピックに出場し、当時のアジア記録を打ち立てた。

東京パラリンピックでメダルを目指す佐藤圭太選手

 「どんなスポーツをするにもまずは走ることが基本です」

 ここに彼のパラリンピアンとしての原点がある。が、その道程は……。

 「小中学校まではサッカーに夢中でした。ポジションはゴールキーパーで足は速い方だったと思います。

 中3の時でした。ユーイング肉腫で右足を膝下から切断しなければならなくなったんです。正直、足を切ることにそれほどネガティブには思っていませんでした。お医者さんからも『義足を履けば何でもできるから心配はいらないよ』って励まされ、前向きに捉えることができていました。それよりも入院生活が長引き元の生活に戻るまでに時間がかかりそうなのが嫌でした。

 まだ子供だったので“足がなくなったら”どういう生活になるのかイメージができなかったんだと思います。とにかく、元の生活に早く戻りたいというのが強く、また同じようにサッカーができるものと思っていました」

 “義足を履けば何でもできる”といえども、さすがに、すぐにサッカーのグラウンドに戻って同じようにボールを蹴ることはどうだろうか。

 「実際、切った直後、“これは(サッカーは)絶対に無理だなあ”と思い、絶望感にとらわれました。“ああ、やっちゃったなあ”って」

 日常生活を送る上で義足を履くことになるわけだが、当初、痛さを伴ったり、違和感に戸惑い、生活に馴染ませるのが大変だったという。

 「精神的にもなかなか平常心でいるのは難しかったですが、まだスポーツをやることへの執着心が失せることはありませんでした。スポーツの基本は走ることかなと、リハビリの延長で陸上を始めることにしたんです。高校入学と同時に陸上部にも入りました。義足を着けて走るその先にはいろんなスポーツの可能性や、またサッカーもできるかもしれないと希望を抱いたリハビリでありました。実際、最初は慣れずにぎこちなさがあり、駆け足程度ではありましたが、何よりも走れたことが純粋に嬉しかった。半年後には競技用の義足を着け、全力疾走できるまでになりました。といっても、まだ100メートルを20秒もかかっていましたけどね。

 でも、爽快感があり、“義足でもここまで走れるんだ”と、元の生活に戻れたことが本当に嬉しかった」

関連記事

新着記事

»もっと見る