2024年5月8日(水)

オトナの教養 週末の一冊

2013年1月25日

 さらに石炭は、道路の舗装に使われるコールタールや、縁日の夜店を照らすアセチレンガスの灯に変わった。

 各種の染料や医薬品や爆薬、農薬、着色剤、自動車のタイヤにもなった。スチロール樹脂、ポリエチレン繊維、塩化ビニール、ポリウレタン、ナイロン、ビニロンなどの合成樹脂や合成繊維、防虫剤、そして、砂糖の代用品としてのサッカリンやズルチンまでもが、石炭から生まれたのだ。

 「生産と社会生活の動力源」であり、「個人にまで届く日常生活の充実と豊かさをもたらす資源」であり、「目で見て手で触れることができる身近な物質」だからこそ、「ボタ山の火をこの目で見たこともない人びとのなかにまで、『火の記憶』を共有しうる素地が形成され」たのだろう。

 文学に描かれた「石炭」を振り返ることは、単なるエネルギー史の回顧にとどまらず、近代における人間の営みの検証と反省につながるのである。

芭蕉が描く石炭の風景

 著者は、「石炭の文学史」というテーマと向き合いはじめた当初、「いわゆる産業革命(第一次産業革命)以来の近代化の文字通りのエネルギー源となった石炭が、文学表現のなかでどのように描かれてきたかを、作品に即して見なおしてみたい――というきわめて単純な思いをいだいていたに過ぎなかった」と、述べている。

 なるほど、おもしろいアイデアだ!と、私も軽い気持ちで読み始めたが、すぐに、これはただの文学史ではないと息をのんだ。

 三分の一世紀以上の時をかけ、著者が石を拾っては積み上げようとして、みずから突き崩し、どうにか最終稿としたという大著。どのページにも、人間の愚かさと清らかさが、地の底から掘り出した黒いダイヤそのもののように凝縮されている。

 最初に引用される文学作品は、松尾芭蕉。故郷の伊賀上野に帰り、郊外を散策して詠んだという一句。

 香に匂へ うに掘る岡の梅の花

 「うに」とは、伊賀や近江の一部の言葉で、いしずみ、石炭をさす。1688年初春のことで、ほぼ同時期に九州の筑豊や三池で石炭に関する記録が現れはじめているという。

 初期の石炭採掘の多くがそうであるように、丘に炭層の露頭があり、石炭の鉱脈の一端と知らず焚火をして、地面の石が燃えるのに驚愕する。ほとんどの石炭発見譚に共通する筋道という。

 ここに描かれる石炭の風景は、なんとも微笑ましい空気に満ちている。


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