この熱き人々

2013年6月27日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 「ここは交通の便が悪いから、東北に技術指導のために出張するなんて時は1週間近く帰れないんです。私がいないときには、主人が子どもを学校に送り出し、お弁当も作ってくれました。主人の協力がなかったら続けることは難しかった。主人も仕事の都合がつかない時には、主人の母に頼み、それもダメだったら実家の両親に泣きついたりもしました」

 育児支援制度などなかった時代に子どもを育てながら仕事を続けることの厳しさは、同時代を生きた者としてよくわかる。愚痴のひとつもこぼしたら、それなら辞めればいいじゃないかという反応しか返ってこない。よほど覚悟を決めなければ乗り切れなかった時代だったのである。

 「でも、子どもがおるんで……ということを絶対に言い訳にするまいと踏ん張りました。会議が長引いて時間までに迎えにいけないときに『大丈夫。ちゃんとみててあげるから、しっかり会議を終えてから迎えにおいで』って言ってもらった。本当に周囲に支えられて続けてこられたんです。こんな思いをして続けているんだから、仕事をきちんとやらなければって思いますよね」

 仕事が面白くなった時期だからという理由だけで乗り越えられる試練ではないような気がする。男性のように出世という目標でないこともまた確か。それなら、周囲が「支えなければ」と動くほどの橋場の強い意思はどこから生まれたのだろう。もしふたりの子どもを育てる過程で諦めていたら、名工への道はつながらなかったのだから。

 「もし辞めたら、パートで戻れても同じ現場には戻れない。留まることはできても、さらに深めることは望めない。私、きっとそれで辞めなかったんだと思う」

 パートで給料を得られても、それは部分的に時計とかかわることでしかない。自分の中で“それまでの時間”と“それからの時間”が断絶され、一点に据え置かれ、その先に針が進むことはない。それでいいじゃないかと納得できない。橋場の中では、時は常に未来に向かって確実に前進していくものでなければならなかったのかもしれない。

マイスター制度に挑戦

 機械式からクオーツ、薄型、超薄型と形態も多様化し、手仕事から大量生産のオートメーション化が進み、再び職人の技能を生かす高級時計が求められる時代に。そんな時計と時代の流れが、橋場の中に途切れることなく刻み込まれている。

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