「子縁」でつながる秋津地域のお父さん 

2014年8月12日

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岸 裕司 (きし・ゆうじ)

秋津コミュニティ顧問

1952年東京生まれ。広告・デザイン会社の(株)パンゲア代表取締役、習志野市立秋津小学校PTA会長時に秋津コミュニティ創設、会長を経て現在顧問兼秋津小学校コミュニティルーム運営委員会顧問。文部科学省委嘱コミュニティ・スクール推進員、学校と地域の融合教育研究会副会長、埼玉大学・日本大学非常勤講師、ほか。著書に『「地域暮らし」宣言』『学校を基地にお父さんのまちづくり』(ともに太郎次郎社エディタス)、『学校開放でまち育て』(学芸出版社)など。

日本赤十字奉仕団の地域のおばちゃんたちによる米内沢小学校家庭科室での豚汁づくり

 北秋田市が一丸となっての防災キャンプであることを実感した放送でした。

 あっ、日本赤十字奉仕団のおばちゃんたちによる豚汁が、ものすご~く暑~いなか、熱~くておいしかったです!

 てなことで、たまたま連続して呼ばれた「小中学生の学力・体力日本一!」の秋田県の事例を紹介したのですが、宮城県や千葉県、静岡県や岡山県などでも防災キャンプを実施しています。

阪神淡路大震災の教訓から

 ところで、秋津コミュニティがどうして「防災被災訓練を兼ねた一泊キャンプ」を始めたのでしょうか。

 防災訓練は、当時でも各町会がやっていました。でも参加者は、町会の役員やお年寄りなどの少数でした。

 ところが1995年1月17日に阪神淡路大震災が勃発しました。多くの被災住民は、命からがら近くの学校に駆けつけました。学校が避難所に指定されていたからです。しかし、朝の5時半ころなので鍵がかかっていて校舎には入れません。

 住民の一部は窓ガラスを割って入りました。でも停電で暖がとれず、真冬のその日から避難民は何日も凍えたのです。

 そんな事情をのちに知り、「学校を避難所に指定しているだけではダメなんだ。住民がふだんから学校に来て、校舎内の様子を知っていることが大切なんだ」「しかも災害は早朝や夜中に起こるかもしれないのだから、住民が学校の鍵を持つことも重要なんだ」と、強く思いました。

阪神淡路大震災後に習志野市が学校に設置した防災倉庫の簡易担架に子どもを乗せて避難訓練をするお父さんたち。秋津での防災被災訓練を兼ねた一泊キャンプで

 で、秋津小学校コミュニティルームが同年9月に住民委員が鍵を預かるかたちで開設されたことから、町会とも相談し、防災訓練とお楽しみキャンプとを融合させての一泊キャンプを開始したのです。

 お楽しみキャンプを融合させたのは、お楽しみキャンプで若いお父さん家族を釣る?ためです。

 だって、何人かのお父さんに聞くと、「防災訓練は楽しくない」「でも、一泊キャンプなら参加する」とのことでしたからね。

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