この熱き人々

2015年1月15日

»著者プロフィール
閉じる

吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

声で盛り上げる快感に目覚める

 昨年、アニメ作品「ヤッターマン」のポスターを見た人は、ミスプリントかと驚いたかもしれない。ヤッターワン、ヤッターペリカン、ヤッターモグラ……そしてナレーションと16役すべてが山寺宏一だったのだ。16の異なるキャラクターをひとりで演じ分けた山寺は、16役のひとり芝居、山寺宏一劇場と評され、声優としての実力を改めて認識させられた。神業だと思った人も多かったのではないだろうか。

 「確かに大変でしたけど、新人のころから同じ作品にひと言しかしゃべらない役を複数やるっていうポジションが得意だったんですよね。何人分やっても全部違う人がやっていると思われたかった。使い分けるのはそんなに苦じゃないんです。小さいころにモノマネ好きだったからかなあ」

 宮城県塩釜市で生まれた山寺は、どちらかというと引っ込み思案だったというが、小学校では動物の鳴き声のマネをしていたという。マネをするためには、いろいろな動物の声にじっと耳をすます。特徴を捉え、音の質を確かめ、同じ声を出すにはどうしたらいいかを考え、試行錯誤を繰り返して出来上がった声を友だちに披露する。すると「すごいね」とみんなが驚いてほめてくれる。

 ほかの子たちがミニカーで遊んだり野原を走り回ったりして楽しいのと同じように、単に興味があって面白かっただけというが、見事に現在の山寺の原型が出来上がっている。

 「指笛なんかも好きでしたね。楽器は下手だったんですが、自分の肉体から音を出すのが好きだったんです。小学校3、4年のころだったかな、面白いってモノマネと歌をほめられてね。勉強も運動もたいしたことなかったので、それで何か自信がもてて、『これだ!』って思ったのを覚えています」

 声変わりの時期は、その声にぴったりの日吉ミミや天地真理を歌い、声変わりしてからは郷ひろみと、歌マネにも磨きをかけて、「これだ!」という方向をブラッシュアップした山寺は、中学と高校ではなぜか不得手な運動系のバスケットボール部に入っている。

 「何でしょうかねえ。野球やサッカーでは遅れをとっているけど、バスケはみんな初めてだったからかなあ。でもやっぱり埋もれてしまい、中3では膝を悪くしてしまいました」

 それなのに高校でもバスケットボール部に入っている。バスケットを続けたいというより仲のいい友だちがいたという消極的理由と、マネージャー募集に反応したやや積極的理由によるものらしい。

関連記事

新着記事

»もっと見る