2024年4月29日(月)

あの負けがあってこそ

2015年11月28日

2度目の『あの負け』を経験 そして……

世界剣道選手権のポスターを背後に立つ鷹見さん

 鷹見はその3年後の2012年世界選手権イタリア大会にも出場し、団体戦で優勝を果たした。

 「決勝戦の相手は韓国でした。私は中堅で出場して引き分け。それまでの世界選手権は大将戦の前に勝敗が決まっていたのに、イタリア大会は大将戦にまで回してしまったのです。結果は日本の優勝ですが、今大会で世界大会は最後となる大将を務めた先輩に、最後の舞台で苦しい試合をさせてしまったことに、申し訳なさと、悔しさで、その夜、同期の佐久間陽子選手(山形県立左沢高等学校教員)と『これでは終われないね。次回の日本大会はふたりで副将、大将になって優勝しよう』と誓い合いました」

 しかし、2015年の世界選手権日本大会は個人戦に選ばれた。団体戦に出ることに全力を注いできたこともあり、個人戦選出にすぐには気持ちの整理がつかなかった。しかし、「出たくても出られない選手がいるのに、何を我儘なことを考えているの」と思い直し、「団体戦は佐久間選手に託し、個人戦は私が引っ張ろう」と心を決めた。

 団体戦は1試合5分間で勝敗が決しない場合は引き分けになるが、個人戦は延長戦に入る。粘り強く戦うタイプの鷹見は本来個人戦向きの選手なのだ。
「時間はたっぷりあるから一本取ってこい」と試合に送り出されるほうが鷹見本人も戦いやすいと言う。

 その鷹見はしなやかで安定感のある戦いぶりで勝ち上がったが、準決勝では体格で勝る韓国代表のYun Yung HUと対戦し、一進一退の攻防のすえ、延長戦でYun Yung HUのコテが決まって準決勝で敗退。

 鷹見の2度目の世界一への道は絶たれた。

 その結果、世界選手権女子個人戦は大会史上初めて外国人選手が決勝の大舞台に駒を進めた。

 「私は勝てず松本弥月選手(神奈川県警察)が優勝したのですが、決勝戦で松本選手の対戦相手が韓国選手になってしまい、松本選手に責任を負わせてしまいとても悔いが残っています。今はこの負けが、人生最大の負けのように感じていますが、負けることは成長のきっかけであり、努力は報われると思っています」

「この経験が私個人に生きてくるのか、それとも学生の指導に生きてくるのか、今はそれを探しているような状態です。2度目の『あの負け』ですね。きっと剣道に限らず人生はこうしたことの繰り返しなんでしょう。勝ち続けることができる人って凄いと思います」

 勝負において負けて潔くあることは、勝って謙虚であることよりも難しく、勝敗に一喜一憂することない姿には、この道の厳しさが表れている。

 鷹見は2015年春から順天堂大学の教員として教壇に立つ傍ら、「自分の経験を踏まえて、全日本の強化選手に選ばれるような選手を育てたい」と剣道部の指導に余念がない。

 本項のテーマは競技人生最大の「負け」からの復活である。それを振り返るとき、人はどこかに悔しさや何らかの感情の起伏が表情に表れるものだ。しかし鷹見には、「飄々として」という形容があてはまるほど、どこにも力みがなく自然体なのである。笑みを絶やさず静かに語る姿からは、一見するとトップアスリートというイメージとはかけ離れた存在にも見えるが、1時間半にも及ぶインタビューは、まるで筆者が独りで相撲を取っているかのような汗が流れた。あまりにも月並みな言い方かもしれないが、静けさとは深さを指す言葉なのだと改めて教わった気がした。

<鷹見由紀子主な戦績>
全日本女子剣道選手権大会10回出場 準優勝、3位各1回。
世界剣道選手権大会3回出場 団体戦優勝1回、個人戦優勝1回、個人戦3位
全日本女子学生剣道優勝大会 優勝
全日本女子学生剣道選手権大会 優勝、3位各1回。
国体優勝
インターハイ優勝


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