そんな気持ちが変わったのは5月に怪我をして、他の部員と別メニューの練習になったことがキッカケだった。その距離感が本堂を落ち着かせたようだ。
また、春から夏場にかけては女子ラグビー国内最高峰の7人制サーキット大会「太陽生命ウイメンズセブンズ」が開催される時期だったことも気持ちを切り替えさせた。
さらに、
「8月に菅平高原で行われた『ピンクリボンカップ(15人制ラグビー大会)』では日体大が優勝しましたし、個人的にMVPを二つ(大会MVPと特別協賛のスポンサーが選ぶMVP)いただけて、一時はやめようかなんて思っていたくせに、嬉しくなって、楽しくなって、幸せだなぁなんて思って(笑)、やめなくてよかったですよ。それでますます15人制ラグビーの日本代表になりたいという思いが強くなっていったんです」
2年目は左手の障害により苦手だった右方向へのスクリューパス(回転を与えて遠くに飛ばすパス。スピンパスともいう)を克服したことや、ポジション変更もあって気持ちも新たに「太陽生命ウイメンズセブンズ2016」に臨み、日体大の年間総合優勝に貢献した。
スキーへの挑戦
「パラリンピックを目指さないか」
日体大ラグビー部部長の米地徹氏からの提案だった。
それは「日本体育大学スキー部パラリンピック出場応援プロジェクト」として、パラリンピック冬季大会においてメダル獲得を狙う人材発掘の一環で、本堂がその候補にあがったためだ。
「本堂にはこのままラグビーの日本代表を目指すという道もあるのですが、高い運動能力、特に脚力が強いこととタフな精神面を生かせばパラリンピックで世界のトップと闘える可能性は十分にあると思って話をしました」
「タックルに入るように恐怖心を持たずにポールを攻められるんじゃないかと考えています」
「本人には今がチャンスなんだから、やれるだけやってみようと伝えました」
と米地は自信を持っている。