『山旅々』編集者の「山旅のすすめ」

2016年10月18日

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柳原一信 (やなぎはら・かずのぶ)

ウェブマガジン『山旅々(やまたびたび)』編集担当

登山に出かけ、その山に属する町・食・人を知る『山旅』を楽しむ。背景にひそむ歴史や文化を知ることで旅路に奥行きある時間を作ることが好き。趣味は登山以外にトレイルランニングやテンカラ釣り、キャンプとアウトドア全般を楽しみ、遊びのスタイルやアクティビティに関する様々な情報発信している。(ウェブマガジン『山旅々』http://yamatabitabi.com/)

南北戦争の勃発

 少年時代は開墾に明け暮れると共に、厳しい父親との対立が後をたたなかったようです。1860年アメリカに訪れて約10年という歳月が流れ、ジョン・ミューア22歳という年には奴隷制度廃止を訴えるグループに支持されたエイブラハム・リンカーンが大統領になります。

 当時のアメリカ南部では農業中心の経済が盛んで、この経済は黒人労働奴隷により支えられていたんですね。そうして栽培された綿花は輸出により利益を生んでいた為に自由貿易を望んでいたんです。

写真を拡大 世界一背が高くなる樹木として知られるレッドウッド

 対して北部では工業化が進み、流動的労働力が必要だったために奴隷制とは相容れなかったんです。次いで工業製品の競争力を優位に保つために保護貿易が求められていたという、なんとも相反する動きが起きていたんです。リンカーン自身は奴隷制廃止は宣言していなかったようですが、南部では不安が広がったんですね。これによってアメリカ史上最も悲惨な南北戦争が勃発したんです。

 この戦争をきっかけにジョン・ミューアは今自分自身が本当にしたいことを考えたのかもしれません。また徴兵を逃れるという理由からも自分が今本当にしたいこととして植物採取の為の放浪の旅に出かけたようです。

 1865年に50万人という戦役史上最悪の死者数を出した南北戦争が終了してからも放浪の旅は続いていたようです。彼の旅の行程は南北戦争の傷跡をなぞっていく様なものだったと聞きます。そこから人間の愚かさや破壊された自然をみて何を思ったのでしょう。この経験がなかったら自然保護に生涯をかけたジョン・ミューアが果たして出現したのでしょうか?

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