本気で医師を目指す!京都の予備校に未来を託す
やっぱり僕は医学部に行く。整形外科へ進んでスポーツ医療に携わりたい——。
高校卒業時に合格した他学部へそのまま進学するのか迷った挙げ句、河北朋樹くんが敢えて険しい道を選んだのは、大きな怪我でバレーボールの選手を諦めた辛い経験があるからだ。手術とリハビリの中で感じたのは、生命と健康を守る仕事の尊さだった。
だが、模試では全国平均にも届かない自分の学力で、本当に医学部進学を叶えられるのか。医学部合格の最低ラインは偏差値60〜65といわれている。
「いろいろな予備校に相談しましたが、どこも優しく口当たりのいいことを言うだけで。ほとんど現実味がありませんでした」
そうした中、姉が見つけてきた京都の一校だけがまったく違う対応だった。2日にわたるカウンセリング、実力診断テストと個人授業を踏まえた面談で、清家塾長から下された判断は辛辣だ。
「医学部合格はかなり厳しい。基礎がまったくできていないし、合格できても3年はかかる。ただ、本気で覚悟を決めて中学内容の穴を埋めるところから徹底してやるのなら、ひっくり返すこともできるだろう」
この言葉で河北くんの闘志に火がついた。「浪人すればなんとかなるだろう」と、どこかで医学部受験を甘く見ていた自分に気がついた。危機感を原動力に全力で勉強する決意ができたという。
偏差値37からスタート 2年で悲願達成へ
その2年後の今春、日本武道館での帝京大学医学部の入学式に河北くんの姿があった。1浪目の受験は全滅。2浪目も失敗なら医学部は諦める。そう決めて背水の陣で臨んだ2023年度入試。もう無理かと塾の寮も片付けた直後の3月下旬、帝京大学医学部の繰り上げ合格を知らせる電話が鳴ったのだ。
「実はこの塾に入った直後の実力テストで、僕の偏差値は37でした。それでも頑張ってこられたのは、塾長や講師の先生方の指導法、そして自分自身を信じることができたからだと思います」
その指導法として、河北くんが第一に挙げるのは「絶対基礎」の完成。過去問や応用問題へと逸る気持ちを抑え、中学内容も含めた基礎を固めた者が必ず最後に伸びる。京都医塾のその不文律を守り、志望校が求める学力を見定めて明確なカリキュラムを組む。当然、ゴールまでの道筋は一人ひとり異なるため、各科目の講師たちが生徒一人のための特別チームを結成し、その生徒だけのカリキュラムを実行する。
平日・週末を問わず8時から22時まで勉強。寮に帰れば寝るだけだ。専用ブースでの個人授業と少人数グループ授業の組み合わせで、ライバル心にも火を灯す。この熾烈な日々を乗り切るからこそ、30台の偏差値が倍増する奇跡が訪れる。医学部合格率一次72%、二次60%——京都医塾の1年が生み出す数字の1つである(*)。
*2022年度4月時点で偏差値40以上の京都医塾 高卒生の合格率
自分なら絶対にできる 信じることが最大の原動力
河北くんが挫折しなかった理由は2つ。1つは担任を核とする講師陣とスタッフの伴走で、苦しいはずの勉強が楽しいと思えたこと。例えば生物では、進化の必然性など基本原理から理解する授業で学問の楽しさに触れた。面談も頻繁に実施され、軌道修正をしながら学習計画の精度と効率を高め、常駐するカウンセラーや整体師が精神面と体調までケアしてくれた。
もう1つはメンタル。講師や仲間に支えられ、家族に見守られながら「自分ならできる」とひたすら自己暗示をかけた。伸び悩んでいるときこそ自分を信じられる人が最後に勝つと、京都医塾は教えてくれた。
「最大の感謝は、いつも味方でいてくれた両親へ。患者に寄り添う医師になり、将来は父の事業も継いで社会に貢献します」。そう話す河北くんはこの2年で大きく成長し、しっかりと未来を見据えていた。